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2-3 世界の傑作機 No.114 富士T-1書評

 
  1 書   評

  書評に対する感想など

  T-1A/Bのエンジンノズルの見分けについて

  前輪収納部のバラストについて 

  A型とB型のジェットノズルの形状の相違について

  入手困難な富士T-1参考図書について

 

書 評    佐伯邦昭

 

 書  名 世界の傑作機 No.114 富士T-1
 

 編集人 湯沢 豊
 

 発  行 平成18年3月1日 株式会社 文林堂
 

 定  価 933円+税

 

 

 刊行時期がやや早すぎたのが惜しまれる 

 2006年3月をもって引退する航空自衛隊中間ジェット練習機富士T-1A/B(T1F2/T1F1)の傑作機としての集大成を狙いにした本です。

 編集者の湯沢豊さんは、F-104を世傑のNo.104にあてがうというような味な演出をする人ですが、今回ばかりは、引退のタイミングに合わせてマニアの興味が盛り上がる時期をねっらって発売してしまおうという営業意識が先に立ったようですね。

 もし、集大成を目標とするのであれば、小牧に残っている4機と岐阜の1機が完全に用途廃止される3月まで取材を続けて、最後を写真で記録すると共に搭乗員や整備士のT-1に対する気兼ねのない感想などを収録すれば、ほぼ完璧なT-1記録本ができただろうにと惜しまれます。残念です。

 

 それでも価値の高い本である 英訳して世界へ

  しかし、本を求めやすい値段に抑えるという世傑の編集方針からすれば、あれこれ要求するのは無理というもので、営業面も含めてそのあたり編集人が一番頭を痛めているところでしょう。

 それだけに、1974年に発行された「世界の傑作機 No.49 特集 富士T-1」(以下旧版という) や過去の航空ファン本誌の記事を再掲しなくてもと思うし、手抜きと言われても仕方がないかもしれません。

 と思いながら、全体を通読しましたら、再掲記事はよく吟味されていて、新たな書下ろしとマッチしております。再掲の必然性があったとまでは言いませんが、旧版を持っている人にも抵抗なく受け入れられるように思います。

 

それでは各論に入ります。

1 基本構想からモックアップ審査まで p10〜p17

 この記事の著者鳥養鶴雄さんは、富士重工がジェット練習機の提案書を防衛庁へ提出した1956年から宇都宮製作所のT-1設計室に勤務し、文字通りT-1の種付けから成長までを共に歩んでいる、まさにT-1を語るにこれほどふさわしい人は居ないわけです。そのことをこの本で初めて知りました。

 戦後3回目の航空日となった1955年9月、日本橋三越で「これからの航空展」が開かれ、実機のF-86FやR-HMが展示されました。その中に混じって富士重工が後退翼のソリッドモデルを出品していますが、航空情報が「T-33またはヴァンパイア練習機級の性能を狙って設計された富士重工のFJT-51ジェット練習機。早く実際に作れる日が訪れるとよい。」とのキャプション付きで写真を載せています。

 鳥養さんによると、この模型には後退角、縦列複座のコクピットを分流するダクトなど、後のT1F1の特徴がすべて組み込まれていたそうです。防衛庁が航空各社にジェット練習機の要求諸元を決めて提案を求めたのがその年の12月、富士・新明和・川崎が提出したのが翌1956年3月です。しかも、新明和と川崎は直線翼、後退翼は富士だけでした。航空発達の流れを読んでいたというべきでしょう。

 

川崎重工業の提案スケッチ

 

新明和興行の提案スケッチ

 セイバーやミグの後退翼機が活躍していたとはいえ、日本にはその理論研究が行われていたわけではなく、富士の設計陣は空力や桁構造や脚構造に随分と苦労しています。鳥養さんはそのあたりを豊富な図面とグラフで丁寧に説明しています。

 また、モックアップ審査で紛糾した場面なども書き込まれてあって、臨場感をもって読むことができます。

2 構造とシステム p18〜p23

 同じく鳥養さんの執筆で板厚構造などから飛行試験まで解かれてています。同じような紹介は類書にあるかもしれませんが、インターナルシール(翼と補助翼の隙間を布でふさいで空力の損失を防ぐ)など、私は始めて見るものがありますし、末尾の設計室雑感が当時の航空工業の姿を面白く伝えております。

3 T-1フオトアルバム p24〜p35
7 T-1 in FACTORY  初鷹細部写真解説   p52〜p61

 実際にT-1で訓練を受けたことのある赤塚聡さんが初号機から解説しています。こういうのは必要に応じて参照するので、いちいち見ておりませんが、かなり役に立つであろうと思います。

 個人的には、座席の両側を分流するエアダクトがコクピットの気密側壁にもなっているらしいのですが、機首からエンジン先端までどのような構造になっているのか、空気をスムーズに流すために中をどのようにしているのか知りたいのですが、写真にも分解図にも見当たらないのが不満です。

4 T-1の生産、配備、運用 p36〜p46

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の富士T-1A/B研究の略史を作るに当たってかなり調査したので、私としては、それほど目新しい内容ではありませんが、例のF-104ナサールレーダー訓練機としてモックアップまで作った経緯に詳しく触れてあるのが珍しいです。ただ、モックアップの写真がなくて完成予想図だけというのは淋しいです。

6 新妻東一のTESTING DAYS (再掲 テスト時の記録として重みがあります)
8 T-1のマッハ限界確認試験 (再掲 国産ジェット機初記録)
9 パイロットが語るT-1とはこんな飛行機 (再掲 やや古臭い感じ)

10 学生の見たT-1 コクピットインプレッション p66〜69

 赤塚聡さんの回想です。 新妻東一さんのインタビューとあわせ読むと、操縦の世界に入り込んでしまいます。T-1がいかに素晴らしい飛行機であったかということ、特に2005年10月小牧航空祭で見せたクリーン状態での機動飛行の素晴らしさで締めくくってあるのが印象的です。ただ、このように1人だけの回想を載せてしまうと、まだまだ他にも多くの感想(厳しい言葉も含めて)があるだろうと思うのですが、遠慮して出てこなくなる心配が残ります。

11 T-1用低高度射出座席 

 再掲 これも記録として重要です。実用化後に使われた例があったのか等々の追っかけが弱いのは、ここで日本の射出技術開発を停めてしまったことに対する筆者の無言の抗議でしょうか。

12 J3日本初の量産化に至ったターボジェットエンジン

 ネ20しか作ったことのない日本が、よくもここまで実用ジェットエンジンを作り上げたものと評価したいJ3エンジンです。筆者の石沢さんはこの開発に当たられたのかどうかはしりませんが、よくまとめてあります。

13 T-1A/Bシリアルナンバーリスト

 欄外の注釈「#853、860、863、866のうちいずれかが2006年3月上旬に所沢航空発祥記念館に展示予定」が締め切りぎりぎりまでニュースを集めたことを物語っていますな。

 某誌が浜松で機首のみを復元展示しているのを首狩族なる表現でけなし、その謝罪訂正も出していませんが、本書では、ちゃんと「喫茶飛行場に展示」と表示しています。その気持ちがうれしいです。なお、#857は12月に金沢へ嫁に行き、#855はニュースフラッシュ282のとおりであることをお知らせしておきます。

14 富士T-1A/Bの塗装とマーキング 図面集 p81〜p87

 これもよく見ていませんが、初号機尾翼のシリアルの上にTAの文字が欠けていること、木更津の展示機が第1術科学校のマークを描いているので、実機にもあったのかなという疑問が浮かびました。

15 T-1 Photo Gallery

  巻頭を33枚のカラー写真が飾ります。初めて見るのも少々ありますが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲富士T-1A/B研究全機写真集の約200枚の画像には質量ともに遠く及びません。素人が編集する富士T-1A/B研究がプロの雑誌をはるかに凌駕していることは実に愉快であります。

追加

 以上、率直な読後感を述べてきましたが、最後に評論の「評の字」の部分で申し上げれば、T-1本としては上の部です。

 T-1は外国の技術等を学んでの所産とはいえ、日本人技術者の頭と腕でこしらえた優秀な飛行機であり、これによって多数のジェットパイロットが育ちました。世界のどこへ出しても恥ずかしくない飛行機です。そのことをほぼ網羅して伝えてくれている本書は、是非とも英訳されて、世界の航空マニアに読んでもらうように希望します 。


読後感 にがうり 2006/02/07

 世界の傑作機富士T-1は、まず値段の安さと本の薄さに驚きでしたが、内容記事、写真は素晴らしいもので期待どおりでした。

 特に、当時の直接関係者の鳥養鶴雄氏の解説記事が光ります。

 T-1は、戦後初の日本人設計・生産による国産ジェット機で、当時の若い我々は日本らしい機体の美しいラインもあって、初飛行を待っていました。そして初飛行の写真記事を載せた航空雑誌を見た時の感激はひとしおでした。 

 初飛行時にエアブレーキが変形して、強度が弱いか?と記されていたように思いますが、今回エアブレーキにはいろいろ問題があったこともわかり、これも初めてのジェット機ならではのトラブルかと納得しました。

 また、そのころの旅客機(CV340/440など)には付いていた動翼インターナル・シールがT-1にもあったとか、ジェット機なのにノーズ・ステアリングがないとは!という小さな新発見もあります。 

 それにしても、T-1は初飛行の1958年から2006年まで長期間にわたり使われた名機で、YSより長く頑丈な機体です。この本は開発から試験期間の解説が当時の技術レベルを知る貴重な資料にもなりました。


入手困難な富士T-1参考図書について

 資料的価値の高い書籍と名声の高い「世界の傑作機」シリーズに富士T−1が追加されたことは国産機ファンにとって大変喜ばしいことであります。しかし、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲( http://ksa.axisz.jp/ )に掲載中である「富士T−1A/B研究」を閲覧した後にこの刊行物を手にした場合、誰もがその情報の不足を感じ、もしくは旧版の再掲に落胆したであろうことは想像に難くない。

 広く情報を求め、即効性の高いインターネットという新メディアを利用した「ヒコーキ雲」と、従来の刊行物を比較することは出来ないが、まだまだ人目に触れていない秀逸な刊行物がきっとあると私は思う。

 そこで既刊行物のうち少量ではあるが、入手困難であると思われるものを紹介しようと思う。

1 何故あんなオチョボ口??

 T−1を初めて見る人は、十中八九その口元を目にして「不格好」な印象を受けるようである。「コイノボリ」などはよい方で、二つ穴を「ブタ鼻」なんて呼ぶ者もいる。

 失礼な…その設計に心血を注いだ長尾明敏氏(元富士重工渇F都宮製作所所長)もそのうちの一人であったが。

 世傑に掲載されているような全体を総括するような内容ではないが、氏がT−1の設計に関わるようになったきっかけから、当時の開発現場の雰囲気まで制作側からみた情景が記されており興味深い。「鯉幟の口のような3面図だな」「じゃぁおまえ書いてみろ!」

   (季刊「そうび」第127号 平成12年6月30日)

 2 初飛行あれこれ

 世傑以外にT−1を主とした書籍を目にしたことが無く、また初飛行がどうであったかという記録は乏しいように思われる。日高氏の駆る随伴機のT−33がT−1に追いつけなかったことや、新妻氏が搭乗した各種試験のエピソード(棒で操縦桿を殴ったり)は有名な様だが、高岡氏による本当の初飛行はどうだったのであろうか?

 これは、高岡氏本人が(「T−1教育二十五周年教育変遷誌」に「T−1開発に関与した経緯並びに状況」として寄稿した記事があった。その他には航空自衛隊幹部OB組織である「つばさ会」の発行する「つばさ会だより」に“ターボ”村田氏が「偉大なテストパイロットの功績を偲んで」と題して高岡氏の経歴を綴った記事が掲載されている。

 経歴紹介などを主体とした村田氏の記事の中で興味を引くのが、日頃は重厚冷静で知られていた高岡氏が初飛行にかなりのプレッシャーを感じていたのではないかという話。整備員の一寸した動作不良(詳細については記述無し)に苛立ち、コクピットに搭乗していた氏がヘルメットをフロントキャノピーにたたきつけたという。初飛行を無事に済ませた後はいつも通りの氏に戻り、ストーブを囲んで記者団に丁寧な経過説明を行ったとある。

  (「T−1教育二十五周年教育変遷誌」昭和61年11月(13教団))

 (「つばさ会だより」第74号 平成12年7月31日)

 

3 女性パイロットと初鷹

 前出の「ヒコーキ雲」書評にあるように、世傑の新刊を開いてみてもパイロットからの評価記事が少なく、空撮写真家である元パイロットの赤塚氏の寄稿と、32年前の記事の再掲のみとは寂しい限りである。

 「そうび」第127号には、T−1搭乗経験のある2名のパイロットからの記事が掲載されていますがどちらも若い隊員であり、そのうち1名は女性操縦者。そしてもう1名は教官操縦者である。これは経験の違いによるもの以上に、性別によるT−1への印象の違いや負担の差を知ることが出来る面白い記事であると思う。

 (季刊「そうび」第127号「さよならT−1A特集」 平成12年6月30日)

 自衛隊機のことならば、やはり自衛隊関係機関からの刊行物が一番よいと思われるが、「そうび」誌などは、部内向け刊行物のため通常は入手が困難であると思われるが、新妻氏の記事などは、細部に違いはあれ「航空ファン」誌と大差のない内容となっていることから、おそらく自衛隊部外者による執筆記事は他所にも掲載されている可能性が大であると思われる。富士重工が編纂したとされるT−1誌が、すべての疑問を解き明かしてくれる事を祈りつつ、その出現を待ちたい。

 

T−1関連記事

● そうび誌 第127号 特集 さようならT−1A

  ・     前略 初鷹様                                                13教団整備主任(当時)
     「久しぶり!そしてあばよ初鷹…」                   13教団教官操縦者
     T−1と共(友)に                                            13教団准曹士先任(当時)
     いにしえに触れて                                           操縦学生(女性操縦者)
     補給処から見たT−1A                                  補給本部 防衛庁事務官
     T−1練習機試作の思い出                             元富士重工渇F都宮製作所所長
    
T−1開発に関与した経緯ならびに状況          テストパイロット 高岡迪
     老兵はまだ飛んでます                                   テストパイロット 新妻東一

     つばさ会だより 第74・75号

・偉大なテストパイロットの功績を偲んで           村田博生

 

補足  「T−1教育二十五年誌」について

 そうび誌に掲載された記事と、航空ファン誌及び世傑誌の掲載記事は似ている。というのはそのいずれの記事も、二十五年誌が元ではないかと思われるからである。

 「そうび」誌に転載された、高岡・新妻両氏の記事はもとより、世傑に掲載されている田口氏の記事もほとんどが二十五年誌に沿った内容になっているのである。

 執筆された方々により再編されたか、編集部でカットされたかは不明だが…

 ここでカットという言葉を使った理由は、二十五年誌に寄稿している田口氏の記事が膨大であったことが元となっている。

 世傑ではT−1に限定されている記事が、二十五年誌では、「研究のために購入した」とされるトロージャン、デ・ハビラント・バンパイヤ機の特性について氏のインプレッションが掲載されている。「…ターボチャージャーを2速に入れると加速が…」「梱包を解く」「止むなく廃棄」等と、副産物的にトロージャンやバンパイヤについても知ることの出来る貴重な記事であることは間違いない。日本のT−28の記事はあまり知らないが、「精密図面を読む」誌等でも機体の概要の域を出る解説は無かったと記憶している。

 その他T−1に関する記事としては、幕僚、パイロット、整備員から会社技術員に到るまで、かしこまり過ぎない文章が多数寄稿されている。装丁は、豪華本(厚表紙に厚紙)で厚さ2センチほど。 見た目以上に濃厚な内容はぜひ手元に置いておきたいと思わせるボリュームであった。

 

「富士重工」部内誌への期待

 官側の刊行物での収穫に気をよくした私が次に調べたのは、当然生産者側である富士重工社史である。

 今回は、「富士重工業30年誌」及び「富士重工業50年誌「六連星は輝く」を参照した。一冊構成の30年誌と、二冊構成(社史及び史料(年表))の50年誌は立派な装丁で、私の期待をふくらませるには十分な貫禄である。しかし、結果は「ハズレ」であった。

 自動車メーカーとしての歴史を知るには十分な内容であるが、航空部門の記事についてはほとんどが機体の概要説明程度であり、特に得たりといった記事は無かった。生産者である富士重でこのような扱いであることに落胆を禁じ得ないが、同社の社内報などにきらりと光る投稿や論文があるのではないだろうか。

 特に、 佐伯さんが、シリアルナンバーまで打って部外者に譲渡するなと締め付けるのは愚かな行為だと皮肉っている「T−1本(名称も不明)」には、生産者ならではの記事、写真、データが溢れているであろうと思われる。