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写真で見る東京国際空港の歴史 History of Tokyo International Airport seen with a photograph

 

1986年 要人訪日の特別機 VIP Visits Planes
 
 
1月 ソビエト社会主義連邦共和国シュワルナーゼ外相特別機
2月 サウジアラビアのヤマニ石油鉱物相
4月 アメリカのワインバーガー国防長官
5月 第12回先進国首脳会議-東京サミット 関連飛来機
    イタリアのクラクシ首相 他
    英国サッチャー首相
    フランスのミッテラン大統領
    西ドイツのコール首相、カナダのマルルーニ首相 他
    第12回先進国首脳会議-東京サミット 飛来機帰国風景
    

 

 1月 ソビエト社会主義連邦共和国シュワルナーゼ外相特別機   

IL-62M CCCP-86536 撮影1986/01   井上 剛


 1986年1月15日に撮影したソビエトのシュワルナゼ外相が乗機として使用したSU IL-62M(CCCP-86536)です。
 同外相は1/15〜19日の予定で、第六回日ソ外相協議の為に来日。機体の方は外相が降機して一時間程でハバロフスクへと折り返して行きました。帰国便も同じ機体でした。(濱野善行)

撮影1986/01/15  濱野善行


 2月 サウジアラビアのヤマニ石油鉱物相    

 1986年2月25日に撮影した、サウジのヤマニ石油鉱物相が乗機として使用したARAMCO DC-8-72(N728A)。 (濱野善行)

ARAMCO DC-8-72(N728A) 撮影1986/02/25 濱野善行

 4月 アメリカのワインバーガー国防長官    

 1986年4月4日に飛来した米ワインバーガー国防長官乗機の89MAW VC-137B(58-6972 17927)です。来日期間中機体は横田でステイしており、5日午後に横田から羽田へ向けて離陸しているのを撮影しております。(濱野善行)

89MAW VC-137B(58-6972 17927) 撮影1986/04/04 濱野善行



 5月 第12回先進国首脳会議-東京サミット 関連飛来機     

 1986年5月4日から6日に掛けて開催された「第12回先進国首脳会議-東京サミット」関連の飛来機の様子となります。
 今みると当時のサミットは、G7首脳がまさに膝を交えて世界の行く末を論じるシンプルな会談の場だった様で、付随する関連会議等も行われていませんでした。
 故に飛来機数自体も最低限で、昨今行われるサミットの様なお祭り騒ぎは、一部のVIP機マニアだけのものだった気がします。
 それと今回の写真は、空港に立ち入り規制が掛かっていた為に他の人達は京浜島や浮島に行くなか、自分は地元民しか知らなかった森ヶ崎公園からの撮影を行いました。 
 その立地条件から地上の障害物や陽炎の影響から証拠写真的な物が含まれますが、その点は記録という事でご容赦頂けると助かります。報道以外でなかなか地上撮影が困難だったこの時の地上風景の記録として後世意義が出るものと思います。(濱野善行)



 1986年5月3日に撮影した参加機駐機場の様子で、1日に来日したイタリアのクラクシ首相特別機であるAZ B747-243B(I-DEMG)と、翌2日飛来の随行機、IAF31StrmoのG3(MM62022)。それと同じく2日に来日した米国レーガン大統領に帯同している報道陣のプレスバードであるPA B747-121A(N750PA)です。撮影自体は1日から行いましたがBランは如何せん遠かったです。(濱野善行)

AZ B747-243B(I-DEMG)、IAF31StrmoのG3(MM62022)、PA B747-121A(N750PA)
 撮影1986/05/03 濱野善行




 5月4日に撮影した英国サッチャー首相乗機のRAF 10Sqn VC-10C1(XV105)で、この機体は帰国が夜間だったのでこの時だけのチャンスでした。 (濱野善行)
 
RAF 10Sqn VC-10C1(XV105)  撮影1986/05/04 濱野善行


RAF 10Sqn VC-10C1(XV105)   撮影1986/05/04 ET



 

 5月4日に撮影のAF CONCORDE.101(F-BVFB)で、こちらはフランスのミッテラン大統領の乗機でした。 このフライトには同じくコンコルド予備機が帯同しておりそれが下の写真で、レジは(F-BVFA)でした。 こんな本当に証拠写真でしたが、撮っている本人的にはとにかくコンコルドが重なった瞬間が見れて満足感に満たされていたのが思い出されます。 (濱野善行)

AF CONCORDE.101(F-BVFB)  撮影1986/05/04 濱野善行


AF CONCORDE.101(F-BVFB)  撮影1986/05/04 ET




AF CONCORDE.101(F-BVFB)、(F-BVFA)  撮影1986/05/04 濱野善行


AF CONCORDE.101(F-BVFA)  撮影1986/05/04 ET




 私は濱野さんとは別の浮島に行きました。
 5月4日はゴールデンウイーク中の日曜日ということで、浮島公園に隣接した今は無い大型フェリーの桟橋付近はかなりの人出でしたが、今のように大勢のVIP機狙いのマニアはいなかったように記憶しています。
 警備はそれなりに厳重で警察官が警戒していましたが、コンコルドが飛来した時は機動隊員もコンコルドに見とれていました。
 そのときの光景が下記写真です。
 コンコルドは2機飛来しましたが1機(F-BVFB、写真2)にはミッテラン仏大統領、もう1機(F-BVFA、写真3)にはEC(EUの前身)の要人が搭乗していたと私のノートには記録されています。
 因みにF-BVFBは現在ドイツSinsheimの博物館で保存・展示されています。
 当日は英国サッチャー首相搭乗の英空軍VC-10(XV105,写真4)も撮れて、私のヒコーキ人生の中でも忘れられない1日となりました。 (ET)

AF CONCORDE.101(F-BVFA)  撮影1986/05/04 ET



 アメリカ軍機を除く参加機が揃った5月4日の駐機場の様子で、西ドイツのコール首相はGAF B707-307C(10+01)、遂行機(10+02)で5月3日に来日。
 カナダのマルルーニ首相も3日にAC L1011-1-15(C-FTNI)で来日しております。(濱野善行)

 GAF B707-307C(10+01)、遂行機(10+02)、AC L1011-1-15(C-FTNI) 他
撮影1986/05/04 濱野善行 


 第12回先進国首脳会議-東京サミット 飛来機 帰国風景

 公式日程が終了した翌7日の帰国の様子を残します。何故当方が期間中この場所に固執したのかがようやく明らかになるかと思います。
 五月は大気の寒暖が揺らぐので風を読むのが難しかったです本当に。因みにサッチャー首相は前述した様に会議終了後、その日の夜に“ascott1125”のコールサインで離日したのを確認しています。
 7日の帰国一機目はフランスのミッテラン大統領乗機のコンコルド(F-BVFB)で、この機体にはオブザーバー参加だったオランダ ルベルス首相とECのドロール委員長も同乗しておりました。 (濱野善行)

AF CONCORDE.101(F-BVFB)  撮影1986/05/07 濱野善行


 二機目もコンコルド(F-BVFA)で、こちらには来日時に成田着のエアフラ定期便で来たシラク首相が搭乗しました。
 保革共存政権だった為に、そもそも政敵だった事から不仲だったからこそのコンコルド二機飛来となったのでしょうね、まぁ表向きはスケジュール都合なのでしょうが。(濱野善行)

AF CONCORDE.101(F-BVFA)  撮影1986/05/07 濱野善行


  三機目はイタリアのクラクシ首相一行のアリタリアジャンボ(I-DEMG)で、これには予備機のガルフ(MM62022)も帯同して行きました。ガルフは後日別件で来日しますのでここは割愛します。(濱野善行)

AZ B747-243B(I-DEMG)  撮影1986/05/07 濱野善行


 四機目は西ドイツのコール首相乗機のオットーリリエンタール号(10+01)で、もう一機の(10+02)は、シュトルテンベルク蔵相の帰国が夜間となっており、こちらもラジオ交信中でコールサイン“german airforce772”の飛行確認しております。

GAF B707-307C(10+01)  撮影1986/05/07 濱野善行  


 新 アメリカ合衆国機の離日風景

 撮影は同じく1986年5月7日で、一枚目は2日夜に来日していた米レーガン大統領の愛機“air force one”89MAW VC-137C(72-7000 20630)で、この機体のみエンドまで来てくれました。想いは通じるものです。 (濱野善行)

新 “air force one”89MAW VC-137C(72-7000 20630) 撮影1986/05/07 濱野善行


新 二枚目はバックアップの“sam26000”89MAW VC-137C(62-6000 18461)です。一応来日時にはナンシー大統領婦人が乗って来ましたが、復路でのPaxは不明です。因みに今回この二機は珍しく厚木のCVW-5エプロンをスタンバイ地として使用しており、そこからのフェリーとなっていましたが、これは横田にNEACP(国家緊急指令機 当時呼称)のE4B(74-0787)が展開している関係で、同一基地に置けない事や、厚木の短い滑走路での重いE4運用の可否等が関係していると思われます。 (濱野善行)

新 “sam26000”89MAW VC-137C(62-6000 18461) 撮影1986/05/07 濱野善行


新  三枚目はシュルツ国務長官乗機となっていた89MAWのVC-137B(58-6972 17927)で、当日横田より回航され韓国のキンポへと向かいました。この頃よく飛来していたので一番調子の良い機体だったのかもしれません。 (濱野善行)

新 89MAWのVC-137B(58-6972 17927) 撮影1986/05/07 濱野善行


新  四枚目はバーガー財務長官乗機の89MAW VC-135B(62-4129 18469)で、こちらは北京へと向かって行きました。御覧の様に135系は元々輸送機として計画された事もあり窓らしい窓が存在せず、PAX機として使うには不評でしたので後々電子偵察機へとコンバートされて行きました。

新 89MAW VC-135B(62-4129 18469) 撮影1986/05/07 濱野善行


新  五枚目は大統領の離日姿を撮り終えた報道陣を収容して帰路に着くプレスバードのPA B747-121A(N750PA)です。

新 “sam26000”89MAW VC-137C(62-6000 18461) 撮影1986/05/07 濱野善行


新  残りました西ドイツは前述した様に当日夜に離日、カナダのマルルーニ首相は翌日8日夕方に“canada081”で離日したのを確認しております。 尚、今回全て時系列順での記録となっております。