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航空歴史館

玉川讀賣飛行場の思い出

@  玉川讀賣飛行場の概略  戦前の航空年鑑
A  戦前の絵葉書 写っている飛行機の機名推理  
 
実録  萱場カ号T型観測機のYoutube映像
B 1954年9月12日〜17日 第2回航空日記念全日本滑空機競技大会
大会期間中の撮影と思われるベル47D-1読売105号

参照 
A3602-4 月島飛行場 第2回航空日中央航空ページェント
C 1954年10月17日 立飛R-52 よみうりタチヒ号命名式
D  1958年3月15日撮影  セスナ195
E  1959年4月3日撮影  立飛R-52 感想 H.F.生
F  1964年撮影  C-50 KH-4 H-23 H-22 
G  讀賣飛行場の落下傘塔  讀賣飛行場は日本に於ける回転翼機ゆかりの地  大石治生

 

A3612-2 東京都 Tokyo Metropolitan  世田谷区二子玉川 玉川読売飛行場
      
@ 玉川讀賣飛行場 

日本航空協会発行 航空(宇宙)年鑑各年度版から集約

名称 讀賣玉川又は玉川讀賣飛行場 
新航空法では場外離着陸場扱い 
管理者 讀賣新聞社
所在地 東京都世田谷区大蔵町 
開設 完成は1940(昭和15)年11月15日
滑走路その他 490m×15mアスファルト 誘導路、エプロン
全面積 52,000u
閉鎖 1970(昭和45)年4月28日
機材等は東京国際空港格納庫に移転
理由 河川敷を公園とするため

昭和13年版航空年鑑                昭和16〜7年版航空年鑑(18年7月現在)  提供横川裕一
       

A 戦前の絵葉書 讀賣飛行場(二子玉川) 提供横川裕一  



格納庫、エプロン、土手横断の誘導路  



舗装は誘導路だけで、滑走帯に転圧や舗装の形は見えません 

飛行機のクローズアップ 機名の推理 横川裕一 J-BAAI
BFW108 タイフーン
(昭和13年讀賣新聞が購入)
J-BACC 讀賣6号
東京瓦斯電(日立)KR-2
(昭和14年10月讀賣新聞が購入)
J-BACO 讀賣8号 
又は J-BACP 讀賣9号
 
Wako YPF-7
(昭和13年7月讀賣新聞が購入)
J-BBGI

一三式初歩練習機陸上型 K1Y1
(昭和15年7月亜細亜飛行学校から譲渡)

 

 
 

 感想 J−BAAI

 読売飛行場の近くで生まれ育ち、よく見に行きました。戦時中は読売飛行場から発着するオートジャイロ (カ号?)が玉川電車の線路伝い(今の国道246)に飛行する姿をを頻繁に見た記憶ははっきりあります。

  終戦直後は米軍の玉川での砂利採掘重機の横に軽飛行機(スチンソン?)が気軽に離着陸していました。

実録  萱場カ号T型観測機のYoutube映像    

@ http://www.youtube.com/watch?v=pAa0dagcXkQ&feature=relmfu&hd=1

 1941年5月26日 讀賣飛行場における試験飛行
 1943年6月4日 広島における陸軍空母あきつ丸離着船テスト

A http://www.youtube.com/watch?v=8PUv8HThZxs&feature=relmfu

 @を短くして、冒頭に朝日新聞社が輸入したシェルバC.19Mk.4オートジャイロ の映像を加えた戦後のニュースフィルム。表題とナレーションで萱場号(旧称号)T型観測機と していますが、カ号作戦と紛らわしいために、オートジャイロの頭文字に改名した言われています。

 讀賣飛行場のシーンには、萱場カ号T型観測オートジャイロのエンジン始動の模様からストール性能を遺憾なく発揮した離着陸シーンが数多く収録されている中で、格納庫、誘導路やグライダー搬送の情景も写っています。

 萱場カ号T型観測オートジャイロは、陸軍が採用を決め、陸軍空母あきつ丸搭載の船舶飛行第二中隊を編成した際に、下志津飛行学校と共に玉川でも訓練を行っています。

参考 撮影1969/02/11 渡辺孝義

戦前の格納庫2棟が1969年にもそのまま残っています (手前はエンジン機用、奥は滑空機用と思われる)

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B 1954年9月12日〜17日 第2回航空日記念全日本滑空機競技大会  滑空

世界の航空機 1954年11月号


 9月12日競技開始日の午後から雨が降り出し、台風も重なって順延が繰り返され、予選を突破した選手による中級、高級の決勝戦は5日後になりました。気象条件の良くない時節に行ったこと、短い滑走路で十分な滑空が行えなかったこと等で、ずさんな行事であったとかなり非難されています。

大会期間中と推定される写真 ヘリコプターはベル47D-1 JA7005 読売105号 撮影J-BAAI


C 1952年10月18日 よみうりタチヒ号命名式  

立飛R-52JA3017の経歴

1949/11 新立川航空機株式会社設立
1952/09/30 完成 c/n1 立飛R-52 航空再開後の国産第1号機
1952/10/18 読売飛行場で命名式   読売新聞社 よみうりタチヒ号 全日本学生航空連盟第1号 
1953/01/29 JA3017登録 定置場読売玉川飛行場 (上記の年月日との相違については不明)
1953/05/31 耐空証明書交付 
  発動機を神風からコンチネンタルE-185に換装
1959/08/03 多摩川弁天橋付近に不時着水大破 
1959/08/03 抹消登録

鳳文書林1954年12月発行 日本航空機全集1954年版 


感想 H.F.生

 何時も大変興味深く拝見しています。「玉川読売飛行場の思い出」の写真に思わず唸りました。

 我が青春の思い出の地だったからです。学生航空連盟(通称読売学連又はヨミガク)は日本学生航空連盟(通称朝日学連)さんの学校(の航空部)単位の加盟に対し、個人で加入できたので大学に航空部の無かった私は読売学連に入って、昭和34年の始め頃から卒業まで在籍していました。

 正確な記憶に自信がありませんが、まだR-52はエンジン換装前で星型の「神風」がエンジンカウルも無しだったと思います。当時の教官のお1人はそのR-52で学生パイロットとして戦後初めて日本一周をした方で、今でも後進の指導に当って居られます。

 格納庫はエプロンのある前側が社機の入った飛行機の格納庫、後ろが我々が使っていたグライダー用格納庫で、H-222機、H-23が1機入っていたと思います。

 H-23はA型と称するもので、後年それを改造したのが下の和やなべさん撮影の機体でH-23Bと称したと思います。私は卒業と同時に東京を離れたので、その後の詳細は判りませんが、玉川飛行場の閉鎖に伴い読売大利根滑空場(埼玉県加須市)に移転して活動を継続しており、来月2月26日に創立60周年を迎えると云うことです。

 大変懐かしい写真や記事を拝見し嬉しく思いましたので一言私事の思い出を書かせていただきまし


D 1958年3月15日撮影 195

セスナ195 JA3001の経歴

  セスナ195 c/n7297 N11B CATから読売新聞社が購入
1952/08/22 JA3001登録 読売新聞社 愛称よみうり101号 定置場東京国際空港
1966/08/23 抹消登録

撮影1958/03/15 セスナ195 JA3001 読売新聞社 福井正夫
            胴体表示 YOMIURI SHINBUN 101

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E 1959年4月3日撮影  R52

コンチネンタルE-185時代 撮影1959/04/03 立飛R-52 JA3017 福井正夫


以下拡大


飛行場事務所



燃料庫の前

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F 1964年撮影 KH4

 私が高校の頃の読売飛行場は、柵などもなく、飛んでいなければ滑走路への立ち入り自由で、学校仲間が集まってバイクで滑走路を思う存分走り回ったことがあります。家が近かったものでよく写真撮影に行っていました。バロンやツインボナンザが取材飛行から戻ると撮影済フィルムとおぼしきものを投下し、待機していたKH-4がそれを拾って都心の新聞社まで運んでいくという場面がよく見られました。(渡辺孝義)

 

・ ビーチクラフトC-50 JA5022 読売新聞社

ビーチクラフトC-50 ツインボナンザ JA5022の経歴 

1955/11 ロールアウト c/nCH349
1956/05/09 JA登録  読売新聞社 定置場玉川読売飛行場
1970/05/20 抹消登録 解体



玉川飛行場格納庫 撮影日不明 提供JAHS

・ 川崎ベル47G-3/KH-4

JA7377の経歴

1963/10/23 c/n2017  読売新聞社 定置場読売玉川飛行場
1972/04/11 定置場東京国際空港
1977/09/12 トーメン 日本ヘリコプターサービス 定置場武蔵航空加須基地
1980/06/01 大分県で事故
1980/10/22 抹消登録

撮影1964/06/28 KH-4 JA7377 渡辺孝義

 河川敷の滑走路から離れた道路沿い野川の脇にあった格納庫。奥に見えるもう一つの格納庫にはグライダーが入っていたと記憶しています。

撮影1964/10/11 KH-4 JA7377 渡辺孝義 

 
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・ 萩原式H-23-A3

萩原式H-23 JA2018の経歴 

  萩原木材工業 萩原式H-23A3 c/n10 
1956/01/29 JA登録 読売新聞社 愛称報知号 定置場玉川讀賣飛行場
  学生航空連盟 定置場読売大利根滑空場
1970/05/28 抹消登録
  河口湖自動車博物館

撮影1964/10/11 萩原式 H-23-A3 JA2018 読売新聞社 報知号  渡辺孝義
       土手のバック 中央に見える二階建ての建物が事務所 その左側に格納庫がある




滑走路近くで着陸を撮ったら、スピードが速くて尾翼が入らなかった


同じく萩原式 JA2018 読売新聞社 報知号  撮影時期不明 HSC-M



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・ 萩原式H-22A-3

JA2184の経歴 

1962/07/20 c/n59  読売新聞社 
  学生航空連盟 定置場読売大利根滑空場

撮影1964/10/11 萩原式H-22A-3 JA0184 読売新聞社社 第2報知号 渡辺孝義


 グライダーの離陸はウィンチによって行われており、外されたワイヤーが空から目の前に落ちてきて、かなり危険な状態でしたが、皆平然と見ていました、今では考えられないようなことです。




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讀賣飛行場の落下傘塔  讀賣飛行場は日本に於ける回転翼機ゆかりの地  大石治生

讀賣飛行場の落下傘塔

 神奈川県の江ノ島に2002年まであった旧展望台は、讀賣飛行場の落下傘塔を移設したものでした。

 参考

 讀賣飛行場の落下傘塔について : 讀賣新聞1940(昭和15)年11月8日記事
                        神戸大学電子図書館

 旧江ノ島展望台について : 懐かしい旧江の島展望塔


讀賣飛行場は日本に於ける回転翼機ゆかりの地

 陸軍船舶飛行第二中隊が広島吉島飛行場で本格的な訓練を行う前に、一部の兵士が讀賣飛行場でオートジャイロの訓練を受けています。

 また、読売新聞社が製作した戦後国産ヘリコプターの1号機である讀賣Y-1が置かれていたところから、讀賣飛行場は日本に於ける回転翼機ゆかりの地とも言えるのではないでしょうか。

  参考

 戦時中にオートジャイロの訓練 :  田畑義雄軍曹のオートジャイロ部隊物語

 広島吉島飛行場 : 広島吉島飛行場の歴史その1

 わが国ヘリコプター黎明期の試み : http://www2g.biglobe.ne.jp/aviation/jpnhistory.html


日替わりメモ2012/04/11

〇 1940(昭和15)年11月8日付け讀賣新聞トップ記事

輝く紀元二千六百年の佳き秋”国民皆空”に本社がおくる航空報国四大施設の逞しき翼の道場の開幕−航空日本に新しい世紀を告げてパッと開く落下傘…秋空を截って躍るグライダーの輪舞…水清い二子玉川のほとり、聖戦下日本の翼の強大、逞しさを如実にひろげて本社が建設した「読売飛行場」と「読売落下傘塔」の開場式は‥‥

 七五調の流れるような文体を血沸き肉躍る気持ちで読んだ国民も多かったでしょう。東亜聖戦に突き進む日本の姿と、それをいやが上にも煽り立てる新聞社のプロパガンダがよく現れています。

 讀賣新聞社が発表した航空報国四大計画とは、次の四つでした。
    玉川飛行場の建設 (1939年完成)
    落下傘塔の建設 (専門家用と子ども用2基)
    体験飛行の実施 (瓦斯電KKR2型を使用)
    グライダーの普及と訓練 (九五式3型練習機による曳航)
  更に、昭和16年3月から6月まで讀賣飛行場を会場にした航空博覧会を開催しています。戦時中の航空思想の普及に少なからぬ貢献をしていると思いますが、戦後も小型機の基地、滑空訓練、或いはよみうりランドでの航空博など名残が続きました。

 今朝は、落下傘塔とオートジャイロ・ヘリコプターの話題を書きましたが、頭出し程度なので、より詳しい続編がくることを期待します。  

 

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