伊藤忠航空整備株式会社時代 伊藤忠
世界の航空機 1957年4月号 |
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世界の航空機 1957年4月号
1968年頃 ビーチクラフト マスキティアJA3250から撮影 提供RBO
35エンドから
1957〜1958年の小型機など
Cessna172 JA3112 中央航空 銀風 撮影1957/11/10 福井正夫
(拡大) 鉄道踏切の標識 米軍無農薬農場への支線
富士LM-1 JA3105 日光2号機 撮影1957/11/10 福井正夫
Piper PA23 JA5021 富士航空 撮影1957/11/10 福井正夫
Stinson L-5 N9881F 撮影1957/11/10 福井正夫
Piper PA18 ナンバー不明 撮影1957/11/10 福井正夫
C又はD-18 伊藤忠 撮影1958/03/15 福井正夫
Beechcraft H-35 JA3110 朝日新聞社 春風 組立て風景 1958/03 戸田保紀
Piper PA-20 JA3018 読売新聞社 よみうり102号 1958/03 戸田保紀
1963年 航空映画の撮影が盛んに行なわれていた頃 セスナ170B JA3081 geta-o 航空映画
石原裕次郎主演の「何か面白い(おもろい)ことないか」に使用したJA3081の映画撮影時(1963年)の写真です。映画ではJA3007になっていました。
撮影1962年末ごろ 櫻井 隆
国際航空はこの当時、セスナ170B
JA3038とJA3081の2機を学生の訓練に使っていました。この写真は私が当時(たぶん1962年末)借り物のオリンパスペンで撮った写真です。「何か面白い(おもろい)ことないか」では、確かに3081がJA3007に化けていましたね。映画の中でも「ゼロセブン」と呼んでいたのを覚えています。裕次郎とセスナ170Bが主役で、昭和38年当時の調布飛行場が活写されています。当時は、複数の身内が撮影所におり、これらの映画にも関係していましたので、私にとっても印象深いものがあります。役得というのか、試写が見られたり、当時輸入されたばかりのセスナ310に便乗させてもらったりと、楽しいこともありました。この作品や、テキサン、ネプチューンが活躍する「ゼロ戦黒雲一家」もそうですが、当時の自衛隊や航空局の協力ぶりには目を見張ります。羽田の滑走路ど真ん中での撮影とか、今では信じられませんが、実によい時代でした。櫻井 隆
日本一のごますり男 植木等さんを偲ぶ 金澤理勝
2007年3月27日 植木等さんが亡くなられました。心からお悔み申し上げます。1965年の春に「日本一のごますり男」の撮影が調布飛行場であり、撮影の応援に駆り出されました。N-62イーグレットを扱った映画でした。題名のごとく誠に楽しくなる映画で、大学を出て就職、ごまをすってトントン拍子に出世して最後はN-62イーグレットの売り込みでニューヨーク支店長に栄転した話でした。
ポスター2枚と台本の表紙、飛行場での会話の一部を送ります。会話の中の鳩子は若かりし頃の中尾ミエです。(許可をとっていないのでポスター等は掲載できません)
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飛 行 場 |
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風速計が回っている。
滑走路の一隅に、国産機「イーグレット」が待機している。
事務所から、身支度した鳩子が、等を連れて、出てくると、近づきながら、
鳩子 「あれよ、パパの関係している子会社が作った国産機」
等 「ははあ、後藤又航空が始めて試作したイーグレットってやつだな」
鳩子 「意外と詳しいじゃない」
等 「それはもう、飛行機だけがぼくの趣味ですからね‥‥‥ なるほどなあ、こいつあいいや、
手頃で‥‥‥(と、機体を軽く叩いたりしながら)ぼくも、金に余裕があったら、一台、買い
たいと思うな」
鳩子 「そう思うのは、あんたぐらいよ。まだ、ぜんぜん買い手がつかないらしいわ
さ、乗りましょよ (と、気軽に操縦席に乗り込む)」
等 「O・K! ブアーツと飛んじゃおう、ブアーツと!」 と続いて乗り込む
エンジン始動
操縦桿を握る鳩子
鳩 子 「行くわよ!」 |
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同 滑 走 路 |
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「イーグレット」が離陸してゆく。 |
日本一のごますり男 植木等さんを偲ぶ N-62イーグレット
離陸を許可する判断目安 5km南のよみうりランドのタワーよみうりランド
T-6群の向こうによみうりランドのタワーが見えています 撮影1964/06/21 村越賢司
伊藤忠航空整備鰍フ新機組立とオーバーホール 新機組立
撮影1980/01/22 佐伯邦昭
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