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航空歴史館  剣の写真から横田基地の姿を探る

      

 

 占領下の米軍横田基地に展示してあった日本陸軍特攻機キ115剣の正面写真です。
 特攻という日本人の精神構造をさらけ出したいのか、あるいは単なる戦利品として日本軍用機の一断面を示す意図なのかはわかりませんが、ロータリーへ目立つように展示されており、当時の日本人は複雑な感情を抱いたことでしょう。


     提供 杉山弘一  1947年頃の撮影か
    


  新 提供 杉山弘一  1953年頃の撮影か
  

 
  

 

 
この写真から1945〜1950年頃の米軍基地の姿がいろいろと想像できます。剣と飛燕も何度か展示場所を変えられているようです。兵舎の火災によることもあったそうですが、飛燕(或る戦闘機(飛燕)の戦後史)の展示場所も参考にしながら推理してみました。

結論
1 場所は、ベースオペレーションへ向う大通りの西側交差点内のロータリー
2 時期は、1946年晩秋から1947年春先までの間の撮影

クローズアップ 1

 左主翼側にある施設案内板を判読してみます。

BASE SUPPLY 

補給関係か?

**** BASEBALL STADIUM ?

 

野球場

BASE OPERATIONS

管制塔 旧福生飛行場ピット

(不明)

 

(不明)

 

CHAPEL & LOUNGE 

教会 ラウンジ?

 日本文字の縦書きの看板もありますが、判読不能です。

 奥に見えるHOME・SITEMAP OF THE ATTACKERSは 基地野球チームのHOME・SITEMAP・サイトマップグランドであることを示しています。野球場は、ニューギニアのラバウルで戦死したレイモンド H ウィルキンス少佐に因んで1957年にWILKINS PARKと名付けられたということです。

クローズアップ 2

 

 右主翼側にある施設案内板を判読してみます。

POST EXCHANGE

PX 酒保

OFFICERS AHUB

将校クラブ

THEATRE & GYM

映画館 ジム

(不明)

 

MOTOR POOL

駐車場

BASE LIBRARY

基地図書館

DISPENSARY

薬局

COMMISSARY

軽食、売店

 その左に見える立て札と機首正面の機体解説板は、残念ながら判読できません。

展示場所について

 1947年の航空写真には、ロータリーが東西二つ写っています。しかし、その中に剣の姿はなく木造2階建て兵舎の南側に置かれています。従って、ロータリーに展示されていた時期はこれより前か以後かのどちらかになります。(その推理は後述)

 どちらのロータリーかというと、HOME・SITEMAP OF THE ATTACKERSとの位置関係からみて西側のロータリーであると断定できます。現在、51thFIWマークのノースアメリカンF-86Fが展示されている所です。
 

1947/11/14撮影の空中写真  TRON (国土地理院許可済み 文字書き入れは佐伯 )

このロータリーへの展示時期について

 剣の背景に写っている樹木の中に葉を落としている落葉樹が見えます。それから推定して、この写真は冬場もしくはその前後に撮られたものでしょう。
 素顔の横田基地に、米軍接収(1945/09/06)の1年後あたりから建設ラッシュが始まったと書いてあります。福生飛行場時代の建物を残しながら野球場を含めて諸施設を建設し、区画道路も整備されて1947年11月の空撮にみえるような姿になっています。

 剣は、その時に新設された西側ロータリーへ展示されたのではないかと推察します。特攻専用機という特殊な航空機を、このように派手に顕示する意図というものは、建設ラッシュ時のような何か高揚した気分を反映しているように思えるからです。

 落ち着いて検討するならば、格上の飛燕をロータリーに展示してやるという意見が出ても不思議ではありませんし、そのような状況から、短期間のうちに木造兵舎の方へ移す、つまり特別扱いをやめてしまったと考えるのが自然です。

 よって、このモノクロ写真の撮影時期は1946年11月晩秋から1947年春先までの間であると推定します。

 

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