HOME・SITEMAP 日替わりメモ 静岡県目次  浜松基地総目次

航空歴史館


 

     浜松基地に集められたT-33AとF-86F  

目次

1枚の絵はがきから 1960年代後半の浜松南基地エプロンに並んだT-33やT-6

@ 浜松南基地のエプロンに置かれていたT-33A

A 第5術科学校マークのテスト

B 米軍返還のために集められたノースアメリカンF-86F-40

C 火災訓練に使用されたF-86F ナンバー不明

参考  このページに登場したT-33AとF-86Fの経歴  参考資料     

 

  

提供・撮影 N.P.C. RENAT    


 ネットで落札した珍しい絵葉書の画像を送ります。下記の浜松基地のエプロンに長期間置かれていた時期よりも15年くらい前の撮影です。撮影年月日は記載されていませんが、切手の貼るところに7円と印刷されているので、それから1960年代後半と判断しました。(はがき7円は、1960年代後半) RENAT

 まず一番大きく写っているT−33の653号機は私は見たことがないです。航空史探検博物館には未収録ですが、輪島分屯基地に展示してあったとか。
 その上の254号機は、今でも207号機とともに浜松基地内南の空き地スペースにT−6とともに放置してあります。

 
 左端の頭が切れているT-33は623機で、今は喫茶飛行場にある機体です。これら3機はすでにチップタンクが朱に塗られてますので短期間ながら部隊で活躍してたことを思わせます。
               右


     写真は喫茶飛行場のページから借用

 
 右端の602号機はノータンク、653号機の前にいる608号機と605号機は無塗装のタンクで、以前から教材機だったことを示します。とくに608号機は機体が無塗装でピカピカです。

 2機のT−6もおもしろいです。100号機は岐阜基地に展示してありますし、031号機は浜松北基地のゲートガードになっていました。      
     

                         


写真は岐阜基地のページから借用


写真は浜松基地のページから借用

 C−46の37号機も44号機とともに教材機として長期このエプロンに駐機してありました。山本五十六だったか、さだかではありませんが映画の一場面で使われていました。

 たった1枚のハガキですが楽しむことができました。
 

@ 浜松南基地のエプロンに置かれていたT-33A  撮影1986/08/28 N.P.C.

 第1術科学校で整備教材として使われていたロッキードT-33A群です。これらは、1990/06/26に用途廃止され、米軍に返還の手続きをされた模様ですが、米国へは渡らず、入札で韓国へ行ったらしいということです。



左から 元第1術科学校のT-33A 51-5606 51-5607 51-5602 51-5603  元第6飛行隊のF-86F 72-7749





          51-5602
        
           51-5603
        

以下 撮影1987/10/29 N.P.C.

         51-5605
         
        
           51-5606
        
         51-5607 (返還のための整備と思われるが、結局役に立たなかった模様)
        
                      51-5608
                 
 


A 第5術科学校マークのテスト

第5術科学校がT-33Aを使用することになり、保管中の#602と#605を使って色違いで描いていました。紺と緑のうち、緑の方が採用されました。

撮影1980年頃 RENAT


ベルトラインが紺の#602


マークは不採用
ベルトラインが緑の#605 このデザインが第5術科学校マークに採用



マークの実際使用例 第5術科学校時代の国産T-33A 81-5357


B 米軍返還のために集められたノースアメリカンF-86F-40

 築城から約8機と1術校教材機だった約5機のうち72-7749を静岡県竜洋町(現磐田市)袖浦公園への展示に回し、残りが返還されました。

撮影1980年頃 RENAT

無塗装の機体は1術校教材機


築城から送られてきた機体





後に袖浦公園へ展示された72-7749 機首にGリミットを示す赤ライン入り

撮影1986/08/28 N.P.C. 赤ラインは消えている


C 火災訓練に使用されたF-86F ナンバー不明

撮影1987/10/29 N.P.C.


参考  このページに登場したT-33AとF-86Fの経歴

T-33A

航空自衛隊ナンバー

米軍ナンバー

航空自衛隊引渡

最終所属

用途廃止 返還

51-5602(供与)

53-5086

1955/01/20

第1術科学校

1990/06/26

51-5603(供与)

53-5087

   〃

   〃

   〃

51-5605(供与)

53-5089

   〃

   〃

   〃

51-5606(供与)

53-5162

   〃

   〃

   〃

51-5607(供与)

53-5163

   〃

   〃

   〃

51-5608(供与)

53-5169

   〃

   〃

   〃

81-5357(国産)

56-6904

1958/06/11

第301飛行隊

1994/06/21(解体)


F-86F

航空自衛隊ナンバー

製造番号

米軍ナンバー

航空自衛隊引渡

最終所属

用途廃止

 返還後

62-7449

227-49

55-3864

1956/12/03

第6飛行隊

1980/01/07

QF-86F 1989/08/28撃墜

72-7749

231-49

55-5096

1957/10/08

  〃

1980/06/16

袖浦公園展示

82-7846

238-76

56-2848

1958/10/22

  〃

1979/11/01

QF-86F 1984/09/26撃墜

82-7872

238-102

56-2874

1959/01/14

  〃

1979/11/01

QF-86F 1987/01/16撃墜

参考資料 

幸田恒弘 Japan Air Force F-86Fの記録 (JAHS機関誌CONTRAIL 1999〜2000年)
下郷松郎 プロダクションリスト DVD
佐藤正孝 JAPANESE MILITARY AIRCRAFT SERIALS 各年版

写真説明は、RENATさんのメール文を参考にして佐伯が書きましたが、正しく伝えているかどうか自信がありません。皆さんのご指摘を待っています。

 

日替わりメモ417及び418から転記

○ 浜松基地に集められたT-33AとF-86F

 初期自衛隊の航空機はMDAP( Mutual Defense Assistance Program 日米無償援助協定)により米国から直接供与された機体と、機械工具及びノックダウン部品の供与による国産の機体が多く、これらは基本的には用途廃止後に米国へ返還すべきものであったと考えられます。

 中でも、パイロット不足のために木更津に格納されていたF-86Fが1959年にそのまま返されてしまったことは有名ですが、その後も何度か返還されていることについては全貌が不明で、いまだにマニアの調査対象として生きています。

 本日公開の写真は、浜松の第1術科学校で使っていたF-86FとT-33A、および築城基地から送られたF-86Fの返還対象の機体です。1980年代初めの非常に貴重な記録だと思います。

 F-86はQF-86ドローン機となってアメリカのチャイナレークで撃墜されたり、その中の1機はなぜかアメリカへ渡らずに静岡県竜王町に貸与されたりしているし、T-33はアメリカが引き取らずに入札されて韓国へ渡った(スクラップ?)ともいわれています。航空自衛隊の成長と共にあったT-33AとF-86Fの1機ずつの誕生から消滅までの記録や背景がこのように不備というのは、関心あるマニアにとっては心残りの問題です。

○ 浜松基地に集められたT-33AとF-86FについてN.P.Cさんから

 86が並んでいる写真などは、私が1術校へ入校する前の写真ですから興味深いです。

 浜松南基地のエプロンに置かれていたT−33Aの解説で1990年6月26日用途廃止とありますが形式上の”返還日”であり”用途廃止日”はかなり前では?

 何を持って用途廃止とするかはあやふやなところですが、私が1術校にて撮影した時はもうすでに”さんさん”の整備教育は終了しており、写真のとおり露天駐機にて用途廃止機をどうするか分からず、とりあえず保管の状態で飛ぶ事を前提としてはいないように思われます。

 T-33Aは、部隊でも格納庫に入りきれず露天駐機する場合もありましたが、一晩の駐機でもキャノッピーにはシートを掛け駐機するものです。したがって長期にわたる露天駐機でカバーも掛けず、(見えないだけかも知れませんが)アース線もしてないようなので、多分書類上の用途廃止はかなり前なのでは?と思います。

 ”さんさん”はなんともいえないいい味があります。直接整備した訳ではありませんが好きですね。

佐伯から : T-33Aの供与68機の中には1999年の入間事故で全機飛行停止になるまで飛んでいたのもいますが、大半は1960年代で用途廃止になっているので、「1990年6月26日用途廃止」という数機分については、私も疑問に思います。保存期限の到達していない重要書類が行方不明になったりする自衛隊のことですから、引き継ぎ時の混乱で記録が失われ、何年か後に気づいて整理したのかもしれませんね。意地悪な見方でごめんなさい。