日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t

                              

                             F-9 個別機体解説 JA5043 
                                            長崎航空で離島運送

2017/01/30 全日空から長崎航空への現物出資と台湾への売却

JA5043の製造番号・形式・主な経歴
形式 c/n 3258 DC-3A-197D → DC3A-S1C3G
1940/11/24 UNITED NC25614 "Santa Barbara"
1946/6/20 LANSA XA-GAJ
1947/11/15 UNITED NC73417 "Milwaukee"
1954/5/20 Leeward Service N97C
1957/11/22 日ペリ航空 JA5043登録
1957/12/1 合併により全日空

東京国際空港全日空整備ハンガー 撮影1958/05/28 本田哲也 提供横川裕一


大分空港 撮影1960/11 門上俊夫


広島空港開港直後 1961年9月〜12月 宮野アルバム


東京国際空港 撮影1963/08/08 赤塚 薫


大阪国際空港 撮影1963年1月〜2月 中井アルバム




 
1963/10/16 長崎航空 長崎

 全日空が長崎航空へ現物出資という形で譲渡した。価格3,200万円(川村保敏氏による)

福岡空港 撮影1967/10/01 門上俊夫

1967/11/30 長崎航空での運航停止 翌日全日空へ返還
1968 新 長崎航空に関与していた川村保敏氏が台湾で交渉してJA5072と共にWinner Airwaysに売却した。 
1968/9/18 JA5043抹消登録
1968/9/20 Winner Airways B-312

 

 

長崎航空とは

 
 
長崎航空鰍フ設立は1961(昭和36)年。長崎県の離島振興策として、県、市などの地方自治体、交通、金融をはじめとする県内有力企業が参加して設立されました。

 すぐに不定期航空運送事業と航空機使用事業の免許をうけ、1962(昭和37)年大村空港で営業を開始、発足当初の資本金は5,000万円でした。

 翌1963(昭和38)年38年には大村〜福江線定期運送事業免許を受け、デハビランド ダブで運行を開始しました。引き続いて大村〜対馬(グラマン グース)、大村〜福岡、福岡〜壱岐線など長崎県内を中心に全日空から借りたDC-3による路線を開設しましたが、営業成績は思わしくありませんでした。

 1967(昭和42)年には対馬への便を廃止し、同年11月30日運輸省の行政指導に従って路線を全日空に移譲し定期旅客運送から撤退しました。後を継いだ全日空は翌日からF-27フレンドシップによって福岡〜壱岐と大村〜福江を運航しその他は廃止ました。

 この時期には既にどこの社にもダグラスDC-3による定期便はなく、1967(昭和42)年11月30日をもっててダグラスDC-3の日本の定期旅客運送に終止符が打たれのです。 


 なお、長崎航空に在籍したDC-3は次の4機です。

JA5027 1964年 4月受領 1967年6月 全日空返還後伊藤忠へ
JA5043 1963年10月受領  1968年8月以降 台湾Winner Airwaysへ B312
JA5072 1966年11月受領 1968年8月以降 台湾Winner Airwaysへ B311
JA5077 1963年 9月受領 1966年8月以降 台湾Winner Airwaysへ B313

 

F-9 完