日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次  TOP

 

追加2017/06/17 国立公文書館所蔵写真

 

F-0  個別機体解説 日本航空のDC-3 三日間だけの試験運航 

 
日航文化センター提供

日本航空の発足

 

 日本航空株式会社は、1950年6月26日連合軍総司令部の国内航空輸送運営の覚書SCAPIN2106発表後、いち早く名乗りをあげ、次のような紆余曲折はありましたが、ともかく航空再開後の最初の航空会社としてスタートしました。

1951/01/17
1951/03/31
1951/05/07
1951/05/22
1951/05/22
1951/08/01

日本航空株式会社創立準備事務所を設置 総代藤山愛一郎
国内航空運送事業の仮免許を申請
日本航空グループ(総代尾崎行輝)と合流
国内航空運送事業の営業免許を取得
日本航空輸送(総代鈴木幸七)と合流
日本航空株式会社設立 資本金1億円 社長柳田誠二郎

 併願3社が一本化され、それに相当の精力が払われていることがわかりますが、この間、飛行機をどう飛ばすのか具体的な当てはなく、すべて机上プランだけでの会社設立であり免許取得でした。一日でも早く業界がまとまって飛行機を飛ばしたいという官民挙げての熱意が後押しをしたと しか言いようがありません。

 覚書SCAPIN2106では、運航は日本に乗り入れている外国航空会社に委託することが義務付けられていたので、日航は5社と交渉し、1951/08/07に5社による共同設立会社Japan Domestic Airline Company(注)と運航委託契約書を仮調印しました。しかし、5社の中に意見の食い違いがあってなかなか本調印ができませんでした。

(注) 5社は、PAAパンアメリカン航空、NWAノースウエスト航空、CPAカナディアンパシフィック航空、PALフィリピン航空、CATシビルエアトランスポート  (当初は英国航空、カンタス航空も参加)

 しかし 羽田・福岡・札幌に支所を設置し、スチュワーデス第1期15名入社(1951/08/20)と着々と体制を整えていた日航は、これに業を煮やしてフィリピンから旅客機をチャーターします。それがPALフィリピン航空゙所有のダグラスDC-3でした。

 

 


三日間だけの試験飛行兼披露飛行


 日本航空がチャーターした機体はダグラス社ロングビーチ工場製、C/N18934 C-47A-65-DL 米陸軍42-100471 フィリピン 航空PI-C7です。

 PI-C7は1951/08/25に羽田に到着しました。写真のように、尾翼にフィリピンの国旗と同国登録記号を残して、胴体には日本航空、客室扉上にJAL、コックピット後方に金星と書き入れています。

   

 
 日航がPALを選んだのは、5社の足並みが揃わないのを見て、そのうちの1社と契約ができるようにGHQへ働きかける一方で、PALを比較的組し易しとみたのかもしれません。

 PAL-JALDC-3はさっそく日本上空を3日間お客をのせスチュワーデスのサービスつきで飛びました。各界の知名士を招待して本機の試験飛行を兼ねた披露飛行によるものです。
 
 8月27日東京周辺
 8月28日東京ー大阪間往復
 8月29日東京ー大阪ー福岡ー大阪周辺ー東京

日航文化センター提供

国立公文書館所蔵 撮影2017/05/30 翔べ日本の翼展にて 佐伯邦昭



 
 その後もこのDC-3は訓練飛行などを行なったものと思われますが、PALとの提携はGHQの許可するところとならず、再びすったもんだの末ノースウエスト航空 が示した受託運航の条件を日航が受け入れ、10月からマーチン2-0-2によって航空再開後初の路線営業を開始したのです。

 したがって、PAL-JALDC-3は幻の日航機となってしまい、日本のダグラスDC-3の初運行は4年後の1955(昭和30年)日ペリ航空による東京〜大阪線まで延びます。

撮影2017/05/30 国立公文書館翔べ日本の翼展にて 佐伯邦昭

 

金星命名の推理


 幻と消えたものの日航第1号機のダグラスDC-3に金星の名がつけられた理由を推理してみます。

 日本航空の初期の愛称はつぎのとおりです。
 ダグラスDC-3    金星
 マーチン 2-0-2   もく星、すい星、きん星、か星、ど星
 ダグラスDC-4    てんおう星 (以後は山の名前)

 太陽系惑星のトップを切ってダグラスDC-3に「金」を持ってきたことに、私ははなはだこじつけですが、その1等星以上の輝きに期待をかけたのが大きな理由だと思っています。
  同時に海軍零式輸送機とのつながりで金星エンジンに因んだとも思います。零式輸送機L2D2とL2D3は米軍のテストではC-47をしのぐ性能を出したとも言われており、それは搭載した金星四三型金星五三型エンジンに負うものであったため、日航関係者の頭の中に「優秀な金星」という言葉が零式輸送機 =DC-3の連想で浮かんだとしても不思議ではない と考えているのです。

 更には、金星はヴィーナスです。平和を取り戻した日本において愛と美の女神にあやかろうとしたのかもしれません。

○ 初期プラモデルのあいまいなデカールの例 

HASEGAWAのデカール  提供 (.人.)熊

 

 素材自体は、まぎれもなく日本航空が初めて飛ばした旅客機ダグラスDC-3 PI-C7 金星号で、(近年の製品で本機を取り上げたものがあるのかどうかは知りませんが)歴史的に貴重なデカールだと思います。よくぞ保管していましたね。

 そこで、問題の搭乗口上の文字ですが、NHKハイビジョン特集「羽田空港大百科」<巨大空港舞台裏公開>の画面をデジカメで写してみますと、2行の文字列があり、判読不明の単語に続いて   
FROM PHILIPPINE AIR LINES と読めます。

(NHKテレビ画面から)



デカールのDはJALの下のCHARTER〜の字がありません。小さすぎて描画不能だったのでしょう。
 

搭乗口上のローマ字の推理について

質問 CHARTER FROM の前にある単語を判読してみてくださいな。SPECIAL、EXTRA or ・・? 

新 回答 2016/04/17 飯島 実さんから

UNDER CHARTER FROM PHLIPPINE AIRLINE と思われます ご参考まで・・・ 


ついでに、BとCの金星の文字もテレビ画面と較べてみます。天下の長谷川さんも初期には資料が相当不足していたものとみえます。もっとも実機のイラストもすこし素人じみていますが、模型マニアの皆さん、大いに参考にしてくださいね。
(NHKテレビ画面から)                         (HASEGAWAのデカール)