京都市左京区鹿ヶ谷の神社に生まれた小林(おばやし)祝之助は、1913年に京都深草練兵場で武石浩玻の墜死を目撃して飛行機への志をもち、フランスへ留学します。第一次世界大戦勃発で民間航空学校が閉鎖していたためバロン滋野の助言で仏軍に入り、軍用機パイロットの訓練を受けました。1918年6月7日5機編隊で哨戒中に燃料タンクに被弾したため、3000メートルの高度から身を躍らせて墜死しました。享年26歳。
日本にも大々的に伝えられ追悼の催しが行われました。この碑は1925年に友人たちの寄付で真正極楽寺に建立されました。
● 文章は航空と文化第98号
から要約 写真は(財)日本航空協会提供 図書室44参照