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航空歴史館技術ノート 掲載12/07/29
追加24/01/14

 

 大日本航空の川西四発飛行艇(海軍九七式)

1 各機のニックネーム
2 艇底の色について
  参考 大日本航空横浜空港  
3 海軍九七艇のタンク 

 

1 川西四発飛行艇のニックネームを教えてください  福岡県春日市の青木さんから質問

 97大艇の模型キットの記事をヤフーブログに書いています。97大艇をとりあげるなら、やはり昭和17年の東宝映画「南海の花束」に出演した97のことを書きたいのですが、当時の航空朝日に出ている写真では機名が読めません。大日本航空の川西四発飛行艇のニックネームを教えてください。

答え  JAHS1988年発行Jナンバー登録記号集及び葛城峻氏資料から

J-BFOR 川西四発飛行艇 大日本航空 黒潮  
J-BFOS 川西四発飛行艇 大日本航空 朝潮  
J-BFOT 川西四発飛行艇 大日本航空  
J-BFOX 川西四発飛行艇 大日本航空  
J-BFOY 川西四発飛行艇 大日本航空 漣(さざなみ) 南海の花束ロケ機
J-BFOZ 川西四発飛行艇 大日本航空 綾波  
J-BGOA 川西四発飛行艇 大日本航空 磯波  
J-BGOB 川西四発飛行艇 大日本航空 浦波 南海の花束ロケ機
J-BGOC 川西四発飛行艇 大日本航空 叢雲(むらくも)  
J-BGOD 川西四発飛行艇 大日本航空 白雲  
J-BGOE 川西四発飛行艇 大日本航空 巻雲  
J-BGOF 川西四発飛行艇 大日本航空 夕雲  
J-BGOG

川西四発飛行艇

大日本航空 東雲  
J-BGOH 川西四発飛行艇 大日本航空 朝凪  

  一般に川西四発飛行艇と呼ばれる機体は、海軍九七式輸送飛行艇(H6K2-L,H6K4-L)として1940〜1943年に38機生産され、海軍に20機、大日本航空に18機引き渡されたとされています。(1963年出版協同刊 日本航空機総集 川西・広廠篇)

 大日本航空でのニックネームが14機しか判明していのは、J-BGOHから後の分については、J記号に登録することなく海軍に徴用されて軍事輸送に従事させられていたからとも考えられます。民間乗客のためのニックネームなど付ける余裕もなかったのでしょう。

 なお、海軍97式飛行艇の連合国軍コードネームはMavisでした。

2 艇底の色について質問  かつお

 97艇のプラモデルは古くからハセガワから1/72スケールで出ていて私も造り、軍用型は今も壁にかかっています。

 4年ほど前に学研の本でこの民間機資料が出ていたことがきっかけで、このキットで民間型をと思い立ち着手しました。機銃座の大きな窓を埋めたり、客席窓を開けたりでかなり手間取りましたが何とか出来ました。記号はJ-BFOZですから「綾波」です。






 さて、学研のカラー図面は、艇本体とフロート下面が赤になっており、当時の日本人の感覚では赤はどうも馴染めないような気がしながら、半信半疑で一応赤を塗りました。

 そもそも、学研のこのシリーズは軍艦屋が手掛けているので、航空機に関しては間違いが多いのです。

 この図でも、キャノピー後部に赤線があります。プロペラ位置表示線を描いた積りでしょうが、位置がかなりずれています。
 また、主翼下面の記号が「J」だけというのも全く異例です。考証のあとが見えません。

 問題の艇本体とフロート下面については、日本の軍艦と同じ考えで赤にしたのでしょうか。軍艦屋の思想ですね。

  同じ海軍でも水上航空機には赤を使っていないように思います。いわんや、民間機にそんな派手な色を用いたのかと疑問に思う訳です。

 どなたか、正解をご教示ください。


参考 アメリカから返還された直後の二式大艇 艇底は赤ではありません

撮影1979  阿施光南


2012/07/30 艇底の色について回答

1 川村忠男

 「南海の花束」DVDで確かめて見ました。 

1.艇底およびフロート底面は、白黒画面なのでコントラストで確かめるしかありませんが、上面色のトーンと変わらないので、どちらも赤色塗装などはなく、上面色と同色のようです。

2.、「プロペラ線」は、黒っぽく映っていますが、赤かどうかまでは不明です。回転面より前よりのような感じがします。プロぺラ回転面が胴体上面に一部かかっているので、もしかすると、ここより後ろには行くなという予防線かも知れませんね(警告文らしきものは表示がないようでしたが)。

3、主翼下面の識別記号ですが、先に登場する機体J-BGOBは、右翼にJ-B、左翼にGOBと表示してあるように見える場面がありました。終盤で登場する機体J-BFOYを下から撮ったシーンで、0-32という記号が、左右翼下面の日の丸とフロートとの間ににそれぞれ、文字の頭部分を前縁側に向けて翼幅方向に、記入されていました。

追記

 会社の先輩に大日本航空の大艇の 機関士をやっていた人がいて、いろいろ当時の話を聞いていました。

 「現地に着水すると、現地人がロープ付いた浮き輪と共に泳いで来る。ロープをたぐると、ロープを曳いた台車が来る。機関士は海に飛び込んで潜り、台車を艇体に取り付ける。ロープがウィンチで牽引され、飛行艇は揚陸される。」という話でした。定期便寄港地には、揚陸ランプが備えられていて、海上に停泊することはないうようでした。

 着水後はすぐに陸揚げされ、次の出発まで陸上にあるので、フジツボの心配もなく、船舶用船底塗装の目的としての赤色塗装の必要は無さそうです。 

 南海の花束DVDでは、J-BGOB機では、艇底やフロートが大写しになるシーンがあり、図面のような赤色塗装が無いことは明確にわかります。J-BFOY機では、下から撮った飛行シーンで、艇体やフロートの底面がしっかり見え、そこだけが暗いトーンにはなっていないことからも赤色塗装でないことは明確です。

 航空朝日の写真左上の機体は、学研図と同じに見えなくもないのですが、少なくとも上記2機には塗られていなかったことは確認できます。

 

2 大石治生

 大日本航空九七式飛行艇の艇底塗装ですが、航空朝日の昭和16年8月号に写真が掲載されています。(映画:南海の花束の紹介記事?)

 模型店で有名なピンバイスの書籍販売コーナーに見開きで写真掲載。主翼下面の記号も上面と同じであると確認できます。  http://pinvise.net/book_asa4108.html

 艇底部分が塗り分けられていますが、白黒写真のため色までは確認できませんが、艦船の船底塗装と違い部分的にしか塗られていないので、フジツボ等の付着防止ではなく民間機として南洋での活動時に軍用機と間違われないようにとか遭難転覆時に目立つように塗られていたのではないでしょうか。

 軍用飛行艇の場合、迷彩の意味からも艇底の塗装は陸上機同様に地上から目立たない色に塗られていたのでしょう。(フジツボが付着するほど海水に浸かっていたら艇体自体が腐食してしまうでしょうし。。)

※ 九七式飛行艇については与路島沖に沈んでいる機体の水中映像がyoutubeで紹介されています(1995年にNHKで放送されたものですが) http://www.youtube.com/watch?v=zsX-7BQPPAU

 因みに戦前の民間機は機体を銀色に塗られたものが多くありますが、お役所などから何か塗装規則の通達などが有ったのでしょうか?

2012/08/01 艇底に太い赤線       

Summer (零戦落穂ひろい)

 昭和13年7月に、「民間飛行機ニ日章標示ニ関スル件」の通達がでていて、民間機の胴体下面中央縦方向に太い赤線を書くことになっています。

陸普第四四〇五号 昭和十三年七月廿二日 陸軍 空監第四五九号 昭和十三年七月八日 航空局長官 飛行機ニ日章標示ニ関スル件

右当分ノ間単葉機ニアリテハ翼ノ上面及下面ノ両端、複葉機ニアリテハ上翼ノ上面及下翼ノ下面ノ両端ニ夫々別円要領ニ依リ日章(赤色)ヲ附シ胴体下面中央縦方向ニ太キ赤線ヲ書クベキコトト相成タルニ付至急措置相成度追テ右ハ新聞、雑誌等ニ公表スルコトハ差控ラレ度為念申添候

 学研のイラストは、それによったものと思われますが、問題があります。

 

佐伯から

 ありがとうございました。そういう通達が出ていましたか。推定するに、これは両翼の日の丸と胴体の赤線で日本民間機であることを認識させ、地上からの誤認識を防ぐのが目的と考えられます。

 昭和13年以降の民間機の史料を探してみたら、航空ファン2007年8月号58ページに、毎日新聞社のニッポン号が機首から太い線を施している写真があります。(杉山弘一さん提供)

 また、ニッポン号の模型に赤線が記入されています。取扱説明書によるものです。

         

 太い赤線が軍民の識別を目的とするのならば、学研図面のようにべたっと塗られた赤は識別に迷いが生ずる恐れがあり、こうした塗り方は認められなかった公算が強い、ということになります。また、フロートの赤は不要です。

 Jレターについては、前方に向ってJ-B FOZと書かれるべきであって、この図は手抜きである上にJ文字が逆です。特例としても認められるはずがないでしょう。

 さて、現段階においては、川西四発飛行艇の胴体下面は、船の科学館で再塗装された二式大艇の色を唯一最高のモデルとして準用し、その中央に機首から機尾まで太い赤線を入れというのが、最も史実に近い形態であると言えましょう。

          二式大艇の底 2005年12月船の科学館にて(軍用艇のため赤線は無い)
           

 なお、日本航空協会が川西式四発旅客飛行艇の模型を所蔵しています。(未来に繋ぐ日本お翼 YS-11国産旅客機44年の航跡 12ページ) いつの時代の製作かわかりませんが、塗装などチェックしてお知らせいただきたいものです。 (赤線は施してないとの連絡がありました)

 一結

2012/08/03  艇底に太い赤線の問題   一応の結論  佐伯邦昭 

 いろいろと検討してきましたが、決定的とも思える写真が発見されました。

 航空朝日昭和16年8月増大号「黎明を衝いて飛ぶ」グラビアです。機番はわかりませんが、艇底を学研のイラストと同じように塗装しているものとほぼ断定できます。

 かつおさんのJ-BOFZ模型をほぼ同じアングルから見てみます。

そこで、一応の結論として次のようにまとめておきます。

@ 昭和13年通達による胴体下面の太い赤線は、ほぼ学研図面のとおりであること

A フロートの赤は間違いであること

B ただし、すべての川西四発飛行艇について同じかというと、艇による相違、時期による相違、軍の検閲による映画と写真の隠ぺい加工の可能性等が考えられるので、画一的にパターンを決めてしまうことはできないこと


以下参考資料

・ 航空朝日昭和16年8月増大号「黎明を衝いて飛ぶ」グラビアから

大格納庫前のJ-BGOD白雲


J-BFOY 漣 


横濱空港(大日本航空飛行場)のエプロンと滑りなど


 J-BFOZ 南進開拓試験飛行 1940/11/20 写真ソース Hoji Shinbun Digital Collection リンク



・ 他の航空機の太い赤線の例

毎日新聞社 三菱中攻 J-BACI ニッポン 1939/09 ロサンゼルス市のバーバンク飛行場 提供杉山弘一


イラン皇太子御成婚祝賀飛行
 三菱中攻 J-BAOY そよかぜ 1939/04 テヘラン飛行場 提供産田健一郎

 

3 海軍九七艇のタンク A6M232

 川西四発飛行艇の艇底の色が話題になっているので、私の模型にも塗ってみようかと思っています。手持ちの海軍九七式飛行艇のタンク(滑油?)と一緒に写真をおくります。





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