はじめに
インターネット航空雑誌ヒコーキ雲は素晴らしいサイトで感動しました。初の国産ジェット練習機機T1の初フライトに予報官として立会した経験がありますので、記憶をたどってみます。
私は航空自衛隊が発足した1954年に受験し55年4月3期幹部候補生(新卒公募の1回生)として採用されました。入隊前の視力はOKだったのですが、入隊後のチェックでわずかたりず、パイロットから除外(イルミネイト)され、現在の気象大学校に派遣されて航空気象の予報官になりました。
予報官の仕事は、航空機発着の前に予定空路の気象条件を予報する係りです。予報する内容は、雲量、雲高、視程、風向風速、アルチメータセッティングその他のハザード、タービュランスの有無などです。
富士T1F2の初飛行に立ち会う
半世紀近く前のことで当時の状況をあまり覚えていませんが、防府基地に入隊し、浜松、空幕、小月、浜松、松島とめまぐるしく移動があり、宇都宮基地は6回目の転勤で、基地新設要員として着任しました。
この基地は、既にあった富士重工業のテスト飛行場を延長改造したものでした。
延長したために、滑走路上に既設の公道があり、飛行運用時は公道を閉鎖して使用していたように記憶しています。当然T1の初フライト時は閉鎖していました。
T1初フライトのパイロットの高岡さんには一、二度お目にかかっただけですが、予報室で必要事項を適切に確認し、実行する信頼の置けるパイロットと言う感じの方でした。
アシスタントは小倉達行という私の同期生で、落ち着いた、感じの良いパイロットでした。初飛行の時に高岡さん一人だったか後部座席に会社側の責任者の方が乗っていたか記憶にありませんが、多分小倉君は乗っていなかったと思います。(佐伯注 初飛行は高岡迪一等空佐の単独操縦でした)
会社側の運航室とは密接に連絡を取り合いましたが、そこの責任者は大変やさしい感じの方でした。ただし、若い私の関心は同じ運行室に居たアシスタントのお嬢様風の女性でした。残念ながら親しくする機会もなく、どこへお嫁に行かれたやら。
1958年1月19日、緊張の瞬間、801号機が浮き上がった時と無事着陸した時には思わず万歳と歓呼の声があがりましたね。
宇都宮基地の滑走路はほぼ南北で、北西側に男体山があるため北西風は吹かず、通常は南北の風で滑走路に対向の風が吹くのですが、風の成分が西よりが強くなると、突如真西の風になり横風で着陸不能になり、ホールディングの状態になるか、燃料切れになると立川あたりに不時着を余儀なくされます。
しかし、当日はそのような予測もなく無事着陸できました。
あまり多くは記憶にありませんが以上が私の感想です。
ではご活躍を期待しています。
富士T1F2 TA82-5801初飛行の記録 高岡氏の手記その他から作成 佐伯
09:30 |
#801を滑走路南端にセット 快晴南風2〜3m |
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高岡一佐、日高二佐搭乗 高速滑走テスト実施 |
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随伴の日高二佐操縦のT-33A発進 |
11:00 |
高岡一佐搭乗 エンジンスタート |
11:07 |
エンジン回転8000rpmくらいで発進 滑走距離280mで浮上 |
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高度2000ftで8750rpmにしぼる |
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高度1000ft(300m) 300kt(560km/h)で滑走路上航過 滑走路端でエアブレーキ使用 |
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170kt(315km/h)で脚下げ |
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130kt(240km/h)で第4旋回 フラップ下げ |
11:34 |
接地 20ktでブレーキを使用 停止 |
飛行時間27分 平均時速実測355kt(658km/h) |