広島市平和記念資料館が米国から入手した被爆後の写真の中に、1945年10月頃に、広島湾方向から撮影した市内の写真がありました。吉島飛行場の北側が入っており、数機の航空機も見られます。この機体の機種を調べたいとお願いして写真を借り受けました。皆さんの鑑定をお願いします。
1945年4月7日、広島市に第二総軍が置かれてから、吉島飛行場は関西以西の各部隊及び中央との連絡基地と
され、各種の軍用機がいたようですが、戦後、第二総軍の解散とともに飛行機は伊丹へ集められ、占領軍へ引き渡したとされています。
この写真が、その前なのか後なのかは判然としません。写っている5〜6機が第二総軍の残存機なのか、或いは米軍機なのか、いずれにしても新しい史実が生まれそうです。
なお、1945年10月頃の撮影というのは、1945年10月8日の豪雨水害による住吉橋の落橋が写っているところから平和記念資料館が判定したということです。
米軍撮影、Mrs. John V. Peterson寄贈、アメリカ海軍歴史遺産部写真資料保管室所蔵
@の掩体は、宮野寛治証言による飛燕等の試運転用又は保管用の掩体であったこと
が確認されます。中の機体は1機又は2機のようです。
宮野寛治氏の記憶による1945年当時の配置
広島吉島飛行場の歴史参照
それぞれについて機種を判定してみてください。
参考までに第二総軍時の機種は次の4種でしたが、あるいは飛来していた別の機種、更には占領軍の機体の可能性もなきにしも非ずと考えられます。
・
立川 キ55 一式双発高等練習機
(任務)畑元帥又は大人数の輸送 |
|
・
川崎 キ61 三式戦飛燕
(任務)畑元帥機搭乗機の護衛 |
|
・ 立川
キ36 九八式直協偵察機
(任務)小人数の輸送及び特攻訓練 |
|
・
三菱 キ15 九七式司令部偵察機
(任務)小人数の輸送及び特攻訓練 |
|