掲載11/02/18
東海大学航空宇宙科学博物館は、なぜ廃館したのか
佐伯邦昭
東海大学航空宇宙科学博物館パンフレットから 提供KUPANBA 全体は:KUPANBAの徒然なるままに参照
航空ファン1974年10月号から (以下転載許可済み)
教育的配慮の行き届いた展示
館内展示風景
航空ファンの紹介文
意見 佐伯邦昭
旧東海大学航空宇宙科学博物館 航空文化遺産の継承を途切れさせた責任は重い東海大学の航空宇宙博物館が如何に先進的であったか、次の表で一目瞭然です。博覧会のような短期事業は別として本格的な航空博物館が建設されるのは、実に東海大学の15年も後になるのです。
日本の航空博物館の開館年次表
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 東海大学航空宇宙科学博物館 1974 航空科学博物館 1989 都立航空工専科学技術展示館 1991 所沢航空発祥記念館 1993 鹿屋航空基地史料館 1993 石川県立航空プラザ 1995 かかみがはら航空宇宙博物館 1996 浜松広報館エアパーク 1999 青森県立三沢航空科学館 2003 本格的な航空博物館をという声はあっても、誰も手掛けなかった時期に一大学が航空と宇宙の多くの実物と諸資料を一堂に展示したことは驚嘆に値します。 パンフレットに書かれた「航空と宇宙の未来をさぐる」という開館趣旨は、37年を経た今日でも通用する立派な宣言です。 航空フアンの解説が、航空人の期待する心を如実にもの語っています。
しかし、趣旨を読む限りでは、何故10年足らずで尻すぼみに終えてしまったのか、その経緯がどうしても理解できないし、不信感も抱きます。それは、博物館スタイルでの航空文化遺産の継承を途切れさせてしまった責任に対してです。
そこで素人なりに推理してみました。
パンフレットから
航空ファン1974年10月号から
エアドームと呼ばれる巨大な構造物は、空気で膨らませる構造なのか、アーチ形の鉄骨の上に被覆していたのか分かりませんが、風水害に弱いし、耐用年数も短いですから、不特定多数を常時入場させる建築物としては許可されません。 空調設備や消火防災設備も堅固な内外壁の建物のようなわけにはいきません。法的には無許可違法建築と言われても仕方がありません。
仮に、エアで膨らませる柔構造だとしたら、画期的な大型構造物だったかもしれません。しかし、航空機などを搬入するための大きな開口部を設けることはできないから、大型展示物を先に並べておいて後からドームを膨らませたのかとなります。展示機の入れ替えや追加など時代に即応したリニューアルは不可能です。展示機体の内容を今後とも充実させるという宣言の趣旨に反します。
いやしくも大学の先生方が企画するのに、そのようなことは初歩の知識だと思います。
お金が足りないためか、工期短縮のためか、無理を承知でエアドーム式を選んだとすれば、恒久的な博物館にする考えは初めから無かったとしか言いようがありません。或いは、将来鉄筋コンクリート造りの博物館を建てる構想 はあっても膨大な建設費や維持管理費の前に悲鳴をあげて逃げ出したのでしょうか。
ドームが撤去された後に、一部まともな管理者に引き取られた実機を除いては消息不明の物が殆んどという無責任極まりない後始末になっているのも問題です。
今日でも通用する立派な宣言は、いったい誰によって消されたのでしょうか。これなら期間限定の航空博覧会、いや、半年興業のサーカスの方がましです。以上の推理に対する東海大学の釈明を聞きたい。
(館内外の展示物についてはA4517に詳報しています。)