MU-2 の写真記録
Part 1. short body type for civil use
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Nagoya Aviation Historical Society
はじめに
2013年9月13日名古屋空港へ舞い降りた1機のMU-2が県空港事務所のfollow me vihicleに誘導されて 14Eへspot inした。
N50ETを所有しているMr. Mike Laverはあくる9月14日が特別の意味を持つことを十分に承知していて、その日にターゲットを
設定し、米国本土から南回りでヨーロッパやオーストラリア、東南アジアを経由してはるばるやって来た。そこがMU-2の産まれ
故郷であり、初号機が初飛行した記念すべき50年目に合わせて。
節目ごとにその生い立ちを振り返り、セレモニーを催し、その間の苦労と安全への努力の積み上げに敬服する事はここ日本の商
習慣にはなじまない。その一方で確実にそれを実行しているのは自衛隊に見られる記念塗装機への上層部の理解と容認する国民の
暗黙の了解が出来ている。この事は米国流の自衛隊育成経過と無関係ではなく、その証拠に本家の米軍では建国70周年や各軍発足
50周年では多くの記念塗装機を出現させ、国家的なお祝いをしている事実を多くの日本人は知らされていない。
YS-11を進空させてから遅れる事約1年後にして自社開発した国産初の多用途ターボプロップ機が同じ名古屋空港の滑走路から
羽ばたいてから50年目の節目、予定通りならそれに続く国産初のジェット旅客機となるMRJもとっくに進空していて、MU-2で
培った技術力を踏まえた努力の末の栄光となるはずで、MU-2にももっともっと光が当たったことだろう。
国内でも生きながらえているのは陸上自衛隊が使用するLR-1が数機在籍しているに過ぎない。でも海外ではまだ多くのMU-2
が飛び続けていて、現にMr.Mikeはその信頼性に自信を持っているからこそ世界一周を企てたに違いない。日本人達が、しかも零
戦を造ったあの三菱が送り出したMU-2のオーナーになれることにプライドを持っているのかもしれない。
そのMU-2を産み育ててきた人たちの苦労の軌跡を頼まれもしないのに数々の試験飛行を記録し続けて来た一人の医師が居た事
と、その撮影フィルムからこの節目に再現して残しておくことに意義を感じてここにまとめてみた。
その医師とは森脇敬忠氏であり、お亡くなり後も膨大な撮影記録と試験飛行での詳細な外観変化観察日誌は幸いに残った。
今回はMU-2のオリジナルデザイン機についてその変遷を時系列的にまとめてある。各型毎の違いを解説するのは趣旨ではない。
Nagoya Aviation Historical Society
丹羽八十
表紙写真左は森脇敬忠氏撮影のMU-2A初号機、右は2013.9.13名古屋空港へ到着したN50ETを出迎えている三菱重工関係者、撮影は丹羽八十
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編集後記
あえて各フレームに解説コメントをつけずに日付だけとした。森脇さんの撮影にかける意気込みをそれぞれに感じたいため。
暑い日も寒い日も来る日も来る日も通い続けて、昨日とどこか違っていないかをつぶさに観察し続けたのはこのMU-2だけではなく
YS-11にも同じような観察記録を残されている。それはまさに医師が患者の回復変化を診続けるカルテのようなものだ。
残念ながらその日々の変化記録をここで紹介するには自分の作業限界を感じている。しかし、何とか氏の努力の一端でも報われる
手段はないものかと考えた結果が今回の「写真の羅列」という形でまずは残しておきたいとの思いに達した。
中には当時では社外へ漏れ出てくることもなかった正式な型式や製造番号、初飛行日などの多くがこの記録簿では網羅できていない。
インターネットで検索できる時代になってもMU-2全生産機の記録はまだ入手できていない。今回の撮影記録が一つのきっかけとなって
空白の部分が一か所でも埋まればまとめた甲斐がある。
まだ「長胴型」や「自衛隊での運用機」などについてもまとめる必要があり、この先も作業負荷が続くプレッシャーを感じながら
ひとまずまとめ終えることにした。
使用写真 : 故森脇敬忠氏撮影フィルム Fuji Neopan 100 ASA100
使用スキャナー : Nikon Super Coolscan 5000
使用画像ソフト : Adobe Photoshop Elements 7
使用プリンター : Epson PX-V630
編集日 : 2013年10月21日
編集者 : 丹羽八十/ Nagoya Aviation Historical Society
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