◎ 雄魂(千歳基地内エアパーク)
撮影2002/08/04 OKUBO
撮影2008/08/10 MAVERIC
撮影2009/08/09 MAVERIC
裏面の揮毫者名
この碑は航空自衛隊千歳基地の原点の碑と言えるかもしれません。
浜松での初期訓練を終えて初の実戦ウイングとなり、1957(昭和32年5月20日)任地の千歳基地へ向かった第2航空団のF-86Fジェット戦闘機は、10機のうち、2機が浜松へ引き返し、2機が新潟空港へ緊急着陸し、2機(62-7486
62-7712)が千歳まで来ながら天候の急変で墜落しました。無事着陸できたのはわずか4機でした。
墜落機のうち1人はパラシュート降下で助かりましたが、小川2尉が千歳での86F初の犠牲者となりました。当時この事故が大きな問題になったのは、この年の6月までに航空自衛隊機の事故が13件も発生し、そのうちF-86Fが9件を占め、6人と7機の犠牲を出したためです。
事故原因はもちろん多くの要素の複合ですが、例えば、軍用ジェット機に必須の酸素が工業用の劣悪なものしかなく、高空では水分が凍ってパイプが詰まってしまうため、酸素を必要としない低高度を飛び続け、そのために燃料消費が予想以上に大きくなって千歳基地で復航しようにもタンクが空になっていたなど、実に情けないものもありました。
第2航空団は、それからも度々発生する事故を教訓としてひとひとつ地道に解決し、やがてF-104へのスムーズな交替へとつなげていきます。この雄魂碑は、13年後の1969(昭和44)に建立されたもので、「碑詞」にはそうした経緯とともに犠牲者の霊を慰め、遺訓を偲び安全への誓いを新たにするという意味の言葉が連ねてあります。
そういう意味で千歳基地の原点の碑と思うのです。 2005/06/24記 佐伯邦昭
日替わりメモ811番2005/06/25から きのうの千歳基地雄碑で書いた工業用酸素の件ですが、嘘だろうと感じた人もいるようです。でも、航空情報の1957年8月号に読売新聞社の野澤誠一郎さんが書いていることです。純度の高い医療用酸素は生産量が少なくて自衛隊へ回す余裕がなかった、と。
それで、浜松−小牧−新潟−千歳の2200kmのコースを、高度5000mで飛ぶ計画を立てたといいます。
私は、酸素工業のことは詳しくありませんが、民間航空の人は当時の旅客機に積む酸素ボンベがそんな劣悪なものだったことはないと証言していますから、自衛隊が如何に情けない立場にあったか分るような気がします。
戦後初の実戦航空団発足という輝かしいデモンストレーションの長距離ツアーに、高度5000mのプランで飛行命令を出さざるを得なかった司令の胸中や如何にと、涙が出てきます。これは、もう、政府や防衛庁首脳の責任、戦争末期に狂いに狂った命令を連発した陸海軍首脳の責任と同じことです。
その意味で、雄魂碑をもう一度見てください。魂という字が少しおかしいですね。鬼の上に跳ねがありません。漢和大辞典にもこの字はありません。私は防衛庁幹部の人命無視の無策により尊い命を失った多くの方々の涙で消えてしまったのだろうと解します。
日替わりメモ820番2005/07/06から
811番で取り上げた
「」という文字について、第2航空団から次のとおりメールがありました。
佐伯邦昭 様
雄魂碑について調べましたところ、建立された当時の基地司令(注)が直筆で書きました文字をそのまま石碑に写したものであり、意図的に点を抜いたかどうかは不明、ということでした。 当時の基地司令の名前と在位期間は判明しましたので何かのお役に立てれば幸いです。
第7代千歳基地司令 藤沢 信雄 在任期間 昭和44.2〜昭和45.7
千歳基地広報 松田3曹
(佐伯注 揮毫者は千歳基地司令ではなく、碑の裏面に航空総隊司令官 空将渡邊正書となっています。)
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松田3曹さん、ありがとうございました。藤沢さんがご存命なら直接聞いてみたいですね。
これに、関連して四国の紫電改の立札の紫という文字も、冠の此が変な跳ねになっているとの通告もありました。国語の先生にご登場いただきたいところですが、佐伯も少々調べてみました。@ 漢における魂の古文字は、云と鬼が縦につながっており、その場合鬼には点がありません。云が冠の位置から偏の位置へ変化し、その後に鬼に点がついた現代見られる文字になったものと推定されます。
中国の古典に千字文という1700のすべて異なった漢字からなる詞があり、わが国の書家に大きな影響を与えているものですが、角川漢和中辞典に載っている千字文から探したところ、は
この書体と同じでした。これを原典とされたのかもしれません。
A 紫電改の此についても、千字文の紫を見るとまさに愛媛県紫電保存館の立札と同じ書体でした。
我々の父祖には教養として「シノタマワク‥」の論語を諳(そら)んじているような人がたくさん居ました。ですから、千歳も愛媛県の文字も当用漢字で堕落しそうな日本人へのひそかな抵抗心で揮毫されたとも受取れます。
以上をもって雄碑にまつわる一件を落着としたいと思いましたが、酸素の件で再び疑問が生じました。同じ811番に書いたことですが、たまたま1957年ころの雑誌に黒江保彦さんの航空自衛隊ロッキードT-33Aの操縦の詳しい話が載っていて、T-33Aは滑走中から酸素吸入が必須であり、非常に気持ちがいいとか、巡航は1万メートルが普通だと書いています。
同じ時期の練習機がそうなのに、F-86Fのクロスカントリーに純度の低い酸素しか積めなかったとか、巡航5千メートルで計画したという野澤誠一郎さんの記事は眉唾か?という気もしてきました。どうなんでしょうかね。悩みはつきません。
2005/07/07 第2航空団雄碑の文字について 阿施光南さんから
千歳基地雄碑の鬼の件ですが、80年もしくは81年頃、月刊「翼」の取材時に聞いたことがあります。
駆け出しというよりも勤労大学生だった頃ですが、記事のコピーを送ります。
公式見解ではなく、あくまでアテンドしてくれた広報の方の説を紹介しているだけですけれども。
佐伯から : 阿施さんありがとうございました。マルヨン2機のテイクオフ、何となくわくわくします。鬼にならなくてよかったと!
広報館内の千歳展開F-86Fの1号機模型 撮影2009/08/09 MAVERIC
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