スパイ?ソ連機と米機が53年交戦
朝鮮戦争中の昭和28(1953)年、在日米軍のジェット戦闘爆撃機F84 2機
が北海道根室湾上空で、日本領空を侵犯したソ連戦闘機La(ラボーチキン)11 2機と
交戦し、ソ連機1機に命中弾を与える事件が起きた。当時、米軍が厳しい報道管制を
敷いたため、詳細はなぞに包まれたまま半世紀近くが過ぎたが、実はソ連機を攻撃し
た米軍機は三沢の第39航空師団所属で、しかもソ連機には「日の丸」の国籍マーク
が記されていたことが、東奥日報社が入手した米空軍機密資料から分かった。ソ連機
が領空内でスパイ行為をしていた可能性があり、空軍史に詳しい米国の専門家は「非
常に興味深い事件。ソ連機が何らかの情報を得るため、日本機になりすましていたこ とが考えられる」と分析している。
事件は、昭和28年2月16日に発生した。当時の米極東空軍の発表によると、
F84サンダージェット2機がパトロール飛行中、根室沖合上空で領空侵犯中の国籍不
明機2機を発見、強制着陸を指示したが、無視された上に攻撃を受けたたため、1機
に銃撃を加えた。被弾した同機は千島列島方向に逃走したという。
米軍は国籍不明機がソ連製のレシプロ戦闘機La11で、交戦場所がソ連が占領して
いた千島列島に接していることなどからソ連機と判断。厳重な報道管制を実施し、米軍 機の所属や交戦の模様などを伏せた。
今回入手した機密資料は、52−68年に三沢に駐留した第39航空師団の部隊
史。53年6月の項から、米軍機は同師団の第467戦略戦闘飛行隊所属であ
ることが分かった。機密資料は米空軍戦史調査センター(アラバマ州)に保管されてい たもので、昨年までに機密解除された。
部隊史によると、ソ連機を銃撃したパイロットはベネディクト・ラコンブ中尉で、三沢か
ら千歳基地に派遣され、スクランブル飛行訓練中の出来事だった。部隊史には、師団
情報部に対して交戦中の模様を詳しく陳述したラコンブ中尉の記録も掲載されている。
この中で、ラコンブ中尉はLa11の特徴について「左右の翼に、第二次大戦中の日本軍
機のような赤丸のマークが付いていた」と衝撃的な事実を報告している。
空中戦については、五度目の旋回でLa11の背後に回ることに成功した−とし、「最初
に左翼に弾丸が命中。さらに、風防の後ろと胴体下部に命中し、La11は灰色の煙を引
き始めた」と生々しく証言している。交戦時の高度は1万6千フィート(約4千9百メー
トル)で、日本領空の内側3マイル(約5・5キロ)だったという。
事情聴取に当たった師団情報部は、La11は破壊された−と推測。一方で、「データを
大幅に上回る400ノット(約740キロ)の速度を出していた」と驚きを示し、特別改造機の可能性を指摘。さらに、「ソ連パイロットは積極的で経験豊富との印象を与えた」
とし、事件が単なる領空侵犯にとどまらない可能性を示唆している。
50−60年代の航空史に詳しい米空軍博物館(オハイオ州デイトン市)のデイビッ
ド・メナード研究員は「事件は米国で知られておらず、しかもLa11が日の丸を付けてい
たとは初めて聞いた。事件の経緯をみると、ソ連機がスパイ活動をしていた可能性が
十分考えられる。朝鮮戦争で米ソ関係が緊張していた微妙な時期になぜ、日の丸で偽
装し日本領空を飛んだのか。米軍が日本国内に設置したレーダーサイトの位置や性能 を調べていたのだろうか」と話している。
参考 La-11の前身のLa-9 酣燈社 図面で見る第2次大戦世界の戦闘機より