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A2529-01 山形県最上郡最上町 田代峠 紙西規雄1等空尉慰霊碑
          Captain Kaminishi Memolial, Mogami Twon, Yamagata Prefecture  
               
◎ いしぶみ 紙西規雄1等空尉慰霊碑

 第4航空団第7飛行隊の紙西規雄1等空尉は、1968年1月17日ノースアメリカンF-86F(72-7730)で訓練中に最上町付近で消息を絶ち、2月17日松島基地の雪中野外行動訓練で発見され殉職が確認されました。

撮影1986/06 遊佐 豊  (撮影時には機体の小さな破片がたくさん寄せてありました)

 

雪華に夢うるわしく眠る君と

永久に語らん国見の山々

昭和四十三年一月十七日十三時四十七分

紙西一等空尉

愛機と共に此の地に瞑す

     昭和四十九年 秋彼岸

            宮崎山岳会 建立

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日替わりメモ 2012/06/12

 厳冬の雪深い山の中にノースアメリカンF-86Fを発見した捜索隊は、思わず息を飲んだそうです。殆んど壊れずに雪の上に座っているような姿であったからです。遺体は、翌日になって機体の外で発見されました。防衛庁では事故原因不明としているそうです。

 古来、最上の田代峠付近には魔物がいるとか、UFOが軟着陸させたとか諸説が飛び交い、紙西1尉で検索するともっともらしい意見も見ることができます。燃えてもいない、樹木もあまり投げ倒されていないとすると、ふわっと垂直着陸したとしか考えられませんが、紙西さん、夢の中でもいいからその時の状況を囁いてくれませんか?

2012/06/12 戸田保紀さんから投稿

 今日12日は1978年に発生した宮城県沖地震から34年になります昨年311日の三陸沖地震が始まった当初は発生確率が99%と言われていた宮城県沖地震がやっぱり来たんだと思いましたが一分経っても揺れが止まらないのでこれはなんか違うぞもっとでかいぞと思いました

 34年前の宮城県沖地震が発生した時私は知り合いの運転する車に乗って松島基地での撮影から家に帰るところで塩竃市の東光というスーパーの前の信号で止まっていました

 いきなりグラグラッと来て車が船に乗っているかのように左右に大きく揺れてかって経験したことがない地震には本当に驚きました急いで仙台に帰ってきましたが家の中は足の踏み場がない状態で二階のプラモデルの完成機はすべて棚の隙間から落下して壊れてしまい以後作る気力が無くなって、2年後に販売する方に転身するきっかけになりました

 今日はそんな宮城県沖地震から34年目という一日なのですが今朝のヒコーキ雲には紙西一尉の遭難の話が出ました

 1968117日に発生したこの事故当時私は28歳で仙台の東北放送の子会社だった東北映画製作という会社にいて東北放送のニュース番組に使う16ミリフィルムの撮影をやっていました

 ちょうどその日は夜勤だったので午後2時過ぎに出社したのですが八木山の会社に着くなり『 航空自衛隊のジェット機が伊豆沼の近くに落ちたそうだからヘリコプターで行って撮ってきてくれ』と言われました

 伊豆沼というのは宮城県の北の方にある沼で冬には多くの渡り鳥がやってくる所として有名ですが確かに車では2時間はかかりますのでヘリコプターなら30分だろうなあと考えました

 いつもなら岩沼の仙台空港まで行って乗るのですがそれでは遅いので会社の近くまでヘリコプターが来てカメラマンをピックアップするというのです適当な空き地が会社の中にはないので近くの東北工大の附属高校のグランドで待つことになりました

 しばらくすると小さなヒューズ 269がやってきましたメモを取っていないのでどこの会社の何号機かがわからないのですが当時は通常の飛行機は三ツ矢航空ヘリコプターは東北産業航空と契約していましたのでたぶん東北産業航空の機体だったと思います

 グランドは海抜130 メートルくらいの山の崖っぷちにあり飛び上がるとすぐ広瀬川の上でこんな所から飛び上がったのは10年勤めていて2回しかありませんもう一回は前の年、196710月仙台空港にあった日本航空乗員訓練所のビーチクラフト H-18山形県の最上川のケーブルにひっかかって墜落炎上して4人亡くなったときでこのときも東北産業航空のベル47で取材に行ったのですが登録番号がやけに古い機体だと言う記憶があり調べたらどうもJA7005の様ですホバリングを頼んだら出来ないかもしれないと言われた機体で何とか短い間だけ上空でホバリングをしてもらいました

 ヒューズ269に乗るのは初めてでしたが二人乗りでちょっと窮屈で一番気になったのは周期的に身体がひねられるような動きがあってテールが短いからかなあと思いました

 伊豆沼まで飛んでいったのですがどうも自衛隊や他社のヘリは飛んでいないし車もないしと言うので近くの農道に降りて農作業をしている人に聞きましたが飛行機が落ちたというのは聞かないという話でした

 仕方なく仙台に連絡を取ったらそれならかえってこいと言うので今度は陸上自衛隊の霞の目基地に降りることになりました

 ネットで調べると当日は天候が不良だったと書かれていましたが平野部はヘリが飛べるくらいで特に悪天候というわけではなく帰りは冬場で日が暮れるのが早くて明かりを見ながら帰って来ましたので天候不良だったとしたら山の方だけだったんだろうと思います

 霞の目から会社に帰るなり『飛行機は宮崎町に落ちたらしい明日の朝捜索隊が出る』というので今度は夕飯もそこそこに会社の車で宮崎町に行ってこいと言うことになりました宮崎町というのは山形県に隣接する宮城県の西方にある町で大半が山という所です

 捜索隊の本部は町役場の中に置かれていて松島基地の同僚のパイロットの方が4、5オレンジ色のパイロットスーツを着たまま待機していましたその一人にお話を聞きましたら落ちたのはF-86F730号機でこの正月の飛行初めのお祓いをした機体だというのです

 縁起を担ぐんだなあと思いましたがどなたも非常に暗い表情で仲間の安否を気遣っているのがよくわかりました

 捜索は翌朝早くから行われましたが仙台では想像も出来ないくらいの雪の高さで捜索は大変だろうなあと感じましたこちらは昼のニュースに間に合わせるというので捜索隊が出発した所まで撮ってすぐ仙台に帰りましたが機体はそのときの捜索では発見されませんでした

 これまでは春の雪解けになってから見つかったとばかり思っていましたがそうではなくて一ヶ月後に見つかったんだそうですね4航空団が冬のサバイバル訓練をかねて捜索を行ったんでしょう

 ネットで見ると色んな風説があるようですが、7、8年前にネットで調べる前はそんな噂があったとは全く知りませんでした

 今日は宮城県沖地震から34年というのとちょうど紙西一尉の記事がありましたので思い出話を書かせて頂きました