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航空歴史館

船橋市 船橋ヘルスセンター飛行場

 

A3512-1 千葉県船橋市 船橋ヘルスセンター
       The Old Funabashi Health Center Airport, Funabashi City,  Chiba Prefecture 
 

                         

× 船橋ヘルスセンター飛行場


 

船橋ヘルスセンター飛行場について 2007/07/14 にがうり

 
 私のヒコーキ初体験は、昭和33年夏に船橋ヘルスセンター飛行場で中央航空のセスナ172でした。 谷津遊園とヘルスセンターは競馬場を挟んだ位置になります。セスナには何回か乗せてもらいましたが、競馬場向き離陸は上がってすぐ機首を海側に向けましたが、それでも競馬場上空をかすめるので苦情が来たためか、新たに90度向きを変えた新滑走路をつくりました。

 下記のホームページの飛行場考古学入門(2)に船橋飛行場があります。
        http://HOME・SITEMAPpage2.nifty.com/enjoyfs/zatsudan4.htm
 
 
特に飛行場位置の絵があるので2本の滑走路と競馬場関係がよく判ります。私が知っている当時の初代の滑走路はすぐの海岸沿いで今の湾岸道路から右は海でした。滑走路途中に海水浴への道路が横切って踏み切りがありました。雑用係りのアルバイト高校生の私が踏み切り番もやりました!

 昭和44年頃、船橋ヘルスセンター飛行場で中央航空のセスナ177が墜落し、パイロットが死亡、後席のアベックが重傷を負う事故が起きました。冬場の離陸で、直後にキャブ・アイシング(凍結)でエンストを起こしたものでした。キャブ・ヒーター・ノブは引かれていたのに、なぜかアイシングを起こしたという事故調査結果でした。(エンジン後部から暖気をキャブ周辺に引く方式)

 亡くなったパイロットは私の親友でした。社葬の時にやはり友人の整備士が飛行場閉鎖を心配していましたが、それが当たってしまいました。この事故が引き金になったのでしょう。

 

船橋ヘルスセンターの中央航空株式会社について 佐伯邦昭調

1958/06/01

中央航空株式会社設立 資本金1500万円 本社船橋市浜町

1958/06/01

セスナ170B JA3064を野崎産業から取得移転登録 定置場船橋ヘルスセンター

1958/11/17

使用事業免許

1954/03/26

不定期航空事業免許

1957/10/23

セスナ172 JA3112を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター

1961/06/2

ビーチクラフトB95A JA5089を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター

1963/03/27

セスナ210-5 JA3185を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター

1964/10/14

セスナ150 JA3226、3227、3228を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター

1969/01/29

セスナ172 JA3131を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター

1969/06/28

全機の定置場を調布飛行場に変更

1969

船橋ヘルスセンター廃止に伴い本社を調布飛行場に移し、同飛行場とヤコウ竜ケ崎飛行場を使用、後に川田工業が買収し、調布飛行場に新中央航空を設立し、現在に至る

 


在りし日の船橋ヘルスセンター飛行場 

 にがうりさんがアルバイトをしていた頃の踏切はロープだったそうですが、1962年には立派な遮断機つきになっていました。

海岸(海水プール海の家)側から見た滑走路 撮影1962/03/03 geta-o


その踏切部分を拡大してみると


ヘルスセンター側から見た海水プール 撮影1962/03/03 geta-o

 


セスナ170B JA3064
1953/04/08 c/n25831 ロールアウト N3187A
1953/07/28 JA3064登録 野崎産業 
1958/06/01 中央航空 定置場船橋ヘルスセンター
1969/06/28 定置場調布飛行場
1976/08/11 抹消登録 
  龍ヶ崎理研サービス展示、撤去時期不明

撮影1962/03/03 geta-o

 


セスナ172 JA3112

1957/07/11 c/n36039 ロールアウト
1957/10/23 JA3112登録 中央航空 定置場船橋
1958/06/28 定置場調布飛行場
1974/03/12 抹消登録 
   大阪市交通科学館展示 後アメリカへN62120

撮影1962/03/03 geta-o

絵はがき 提供YS45 道草亭ペンペン草さんの許可済み