私のヒコーキ初体験は、昭和33年夏に船橋ヘルスセンター飛行場で中央航空のセスナ172でした。
谷津遊園とヘルスセンターは競馬場を挟んだ位置になります。セスナには何回か乗せてもらいましたが、競馬場向き離陸は上がってすぐ機首を海側に向けましたが、それでも競馬場上空をかすめるので苦情が来たためか、新たに90度向きを変えた新滑走路をつくりました。
下記のホームページの飛行場考古学入門(2)に船橋飛行場があります。
http://HOME・SITEMAPpage2.nifty.com/enjoyfs/zatsudan4.htm 特に飛行場位置の絵があるので2本の滑走路と競馬場関係がよく判ります。私が知っている当時の初代の滑走路はすぐの海岸沿いで今の湾岸道路から右は海でした。滑走路途中に海水浴への道路が横切って踏み切りがありました。雑用係りのアルバイト高校生の私が踏み切り番もやりました!
昭和44年頃、船橋ヘルスセンター飛行場で中央航空のセスナ177が墜落し、パイロットが死亡、後席のアベックが重傷を負う事故が起きました。冬場の離陸で、直後にキャブ・アイシング(凍結)でエンストを起こしたものでした。キャブ・ヒーター・ノブは引かれていたのに、なぜかアイシングを起こしたという事故調査結果でした。(エンジン後部から暖気をキャブ周辺に引く方式)
亡くなったパイロットは私の親友でした。社葬の時にやはり友人の整備士が飛行場閉鎖を心配していましたが、それが当たってしまいました。この事故が引き金になったのでしょう。
船橋ヘルスセンターの中央航空株式会社について 佐伯邦昭調
1958/06/01 |
中央航空株式会社設立 資本金1500万円 本社船橋市浜町 |
1958/06/01 |
セスナ170B JA3064を野崎産業から取得移転登録 定置場船橋ヘルスセンター |
1958/11/17 |
使用事業免許 |
1954/03/26 |
不定期航空事業免許 |
1957/10/23 |
セスナ172 JA3112を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター |
1961/06/2 |
ビーチクラフトB95A JA5089を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター |
1963/03/27 |
セスナ210-5 JA3185を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター |
1964/10/14 |
セスナ150 JA3226、3227、3228を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター |
1969/01/29 |
セスナ172 JA3131を取得登録 定置場船橋ヘルスセンター |
1969/06/28 |
全機の定置場を調布飛行場に変更 |
1969 |
船橋ヘルスセンター廃止に伴い本社を調布飛行場に移し、同飛行場とヤコウ竜ケ崎飛行場を使用、後に川田工業が買収し、調布飛行場に新中央航空を設立し、現在に至る |
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