1 初公開の短距離着陸実験機飛鳥
1
YU 個人的には、「飛鳥」を見たのが印象に残っています。
National Aerospace Laboratory of Japan STOL Asuka
TR
NE
カバーが掛けられているのはFJR710エンジンが間に合わなかったため
ET
2 民間 中小型機とヘリコプター 2M
YU Mitsubishi
MU-300 Diamond 1 N335DM
NE
NE Dassault Breguet Falkon10 JA8463
SONY Finance Interenational
ET
Cessna 402B JA5245 国際企業(鹿児島)
ET
Moony M20E JA3702
ET
Cessna R182 JA3923 野崎産業
ET
Fuji FA-200
ET
Intreprinderea
de Construcţii Aeronautice Braşov
JA2283 日本航空学園
ET
TR
Kawasaki Hughas
369D JA9189
ET
ET Kawasaki/MBB
BK117 JA9586
NE
TR Sicorsky S-76A JA9598 東急電鉄
ET
Enstrom F28F JA7681
YU ブルーインパルスの飛行停止期間中は新妻さんが大活躍でした。5月に立川でお会いして、ここでも再会することができました。
Mr.Nizuma with Pitts S-2 JA3753
O1-02参照
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3 自衛隊機 3
TR
Mcdonnell Douglas F-15J 32-8823
Japan Air Force
TR
Mcdonnell
F-4EJ 97-8425 Japan Air Force 301Sq
ET Lockheed
F-104J 36-8560 Japan Air Force
TR Mitsubishi
T-2 59-5106 Japan Air Force APW
YU
YU F-15がまだ新機種で、F-104もまだ飛んでくれましたが、基地の片隅には用途廃止機が並んでいました。私が飛んでいるマルヨンを見たのは、この時が最後でした。
YU Lockheed
F-104J 36-8560 Japan Air Force
Kawasaki C-1
YU F-104Js to which
usage is abolished (第2補給処の用途廃止機置き場)
YU Fuji T-1B
05-5810 Japan Air Force APW
YU Fuji
T-3 81-5502 Japan Air Force 現知覧平和特攻会館
YU Lockheed
T-33A 61-5213 Japan Air Force APW
TR
TR
Sinmeiwa US-1 9077
Japan Navy
YU Blue
Immpuls Mitsubishi T-2 19-5172
TR
YU 最後は、前年の浜松事故後約1年
ぶりに、ブルーがフライバイしたのが嬉しかったです。7機によるビッグアロー、リーダーズベネフット、ミラミッドなど新しいフォイーメーションを披露してくれました。復活への一歩を喜びました。 Blue Immpuls Mitsubishi T-2
TR
SU C−1のローパスです。この日15:00発で所属基地へ帰投離陸するというので、「明治村」見物予定を変更して待ちました。制服が14〜5人載って離陸。写真のような大型機の超ローパスを3回?繰り返しましたが、この急上昇・急旋回の迫力ははまさにC−1の面目躍如の光景でした。強く印象に残っています。
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4 米軍機 4
YU A-37も、初めてここで見ました。 Cessna
OA-37B USAF 51FTW 19TASS OS
YU Lockheed
Martin F-16 WP USAF
ET LTV A-7 156913
US NAVY NG-413
NE
YU
YU
Fairchild A-10 USAF 51TFW 25TFS OS
ET
TR
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5 各社ブースから ブース
NE 川崎重工業 Kawasaki XT-4
SU エアバス インダストリー
SU 全日空 ボーイング767就航キャンペーン
SU ソニートレーディング ファルコン100などの売込み
日替わりメモ2011/05/02から
○ 1983
第7回国際航空宇宙ショー(岐阜)
航空宇宙工業会発行の国際航空宇宙ショー50年史に次のような記述があります。
1979年10月に開催された第6回国際航空宇宙ショーは惨憺たる結果に終わった。海外からは新たにルーマニアから1社が加わったことによって参加国が増えたことになったが、前回のF-X商戦のように目玉がなく、しかも期間中に晴れた日はたった1日で、連日雨または曇りという不運もあって、入場者数も26万8,400人という苦しい数字が発表されたが、ショー・ガイドや弁当をはじめ、押しかける入場者を見込んで出店した土産店、飲食料販売店などは揃って大きな損失を出してしまった。
フライト・デモンストレーションを伴う最後の国際航空宇宙ショーとなった第7回ショーは1983年10月29日から航空自衛隊岐阜基地で開催されたが、このショーでは海外からの参加機も少なく、いよいよ寂しいものになった。
なるほど、第7回の岐阜会場の写真を頂いてみると、軍用機ばかり目立っていて、空自の岐阜航空祭と変わりがありません。軍民の新鋭機が乱舞する華やかさや、目の色を変えての商談という雰囲気がない航空ショーでは、関係者の熱意が冷めてしまうのは当然です。
かくて、一般市民を相手としない専門家向けの国際航空宇宙展が幕張メッセで開かれるまで7年の空白が生まれた訳です。屋内施設で飛行演技のない航空宇宙展とは、飛行場に余裕のない日本らしいところでしたが、やはり不満が生じて、2004年のパシフィコ横浜会場からはヘリコプターなどのデモンストレーションが復活しています。
そして、来年は、中部国際空港セントレア(及びポートメッセなごや)で30年ぶりに飛行場を活用した国際航空宇宙展が開催されます。大震災を克服し、各国の参加を得て大いに国威発揚を図ってもらいたいものと期待します。
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