○ 浜松基地に集められたT-33AとF-86F
初期自衛隊の航空機はMDAP( Mutual Defense Assistance
Program 日米無償援助協定)により米国から直接供与された機体と、機械工具及びノックダウン部品の供与による国産の機体が多く、これらは基本的には用途廃止後に米国へ返還すべきものであったと考えられます。
中でも、パイロット不足のために木更津に格納されていたF-86Fが1959年にそのまま返されてしまったことは有名ですが、その後も何度か返還されていることについては全貌が不明で、いまだにマニアの調査対象として生きています。
本日公開の写真は、浜松の第1術科学校で使っていたF-86FとT-33A、および築城基地から送られたF-86Fの返還対象の機体です。1980年代初めの非常に貴重な記録だと思います。
F-86はQF-86ドローン機となってアメリカのチャイナレークで撃墜されたり、その中の1機はなぜかアメリカへ渡らずに静岡県竜王町に貸与されたりしているし、T-33はアメリカが引き取らずに入札されて韓国へ渡った(スクラップ?)ともいわれています。航空自衛隊の成長と共にあったT-33AとF-86Fの1機ずつの誕生から消滅までの記録や背景がこのように不備というのは、関心あるマニアにとっては心残りの問題です。
○ 浜松基地に集められたT-33AとF-86FについてN.P.Cさんから
86が並んでいる写真などは、私が1術校へ入校する前の写真ですから興味深いです。
浜松南基地のエプロンに置かれていたT−33Aの解説で1990年6月26日用途廃止とありますが形式上の”返還日”であり”用途廃止日”はかなり前では?
何を持って用途廃止とするかはあやふやなところですが、私が1術校にて撮影した時はもうすでに”さんさん”の整備教育は終了しており、写真のとおり露天駐機にて用途廃止機をどうするか分からず、とりあえず保管の状態で飛ぶ事を前提としてはいないように思われます。
T-33Aは、部隊でも格納庫に入りきれず露天駐機する場合もありましたが、一晩の駐機でもキャノッピーにはシートを掛け駐機するものです。したがって長期にわたる露天駐機でカバーも掛けず、(見えないだけかも知れませんが)アース線もしてないようなので、多分書類上の用途廃止はかなり前なのでは?と思います。
”さんさん”はなんともいえないいい味があります。直接整備した訳ではありませんが好きですね。
佐伯から : T-33Aの供与68機の中には1999年の入間事故で全機飛行停止になるまで飛んでいたのもいますが、大半は1960年代で用途廃止になっているので、「1990年6月26日用途廃止」という数機分については、私も疑問に思います。保存期限の到達していない重要書類が行方不明になったりする自衛隊のことですから、引き継ぎ時の混乱で記録が失われ、何年か後に気づいて整理したのかもしれませんね。意地悪な見方でごめんなさい。