フランク
チャンピオンは米国の女流飛行士キャサリン
スチンソンの機関士として来日し、スチンソン嬢が帰国した後は、自分の操縦で興行を続けました。
碑は、1917/10/30高知市で10万人の観衆を集めて曲芸飛行中に墜落死し、これを悼んで同市柳原に建立されました。
フランク
チャンピオンの乗機は、荻田常三郎飛行士が使っていたモーラン
ソルニエ単葉機H型(グノーム7気筒80馬力)「翦風 せんぷう」号でした。
荻田飛行士は1915/1/3にこの機体で墜落死しましたが、当時、来日して曲芸飛行を見せていたチャールス
ナイルスがこの飛行機をたいへん気にいっていたといわれ、恐らく修理していたものを、スチンソンの帰国後チャンピオンが乗るようになったものと思われます。
下左の写真でエンジンカバーがサルムソンになっているのは、修理したときにグノームから換装したのではないでしょうか。