No0 Flying Taigers
Flying Tiger LineのDC-8
グラス社から直接購入した機体 |
DC-8-55F |
4機 |
N804SW、805SW、802SW、803SW |
DC-8-63AF |
18機 |
N779FT、780FT、781FT、782FT、783FT、784FT、785FT、786FT、787FT、788FT、789FT、790FT、791FT、792FT、793FT、794FT、795FT、796FT |
他社から購入した機体 (Univarsal社
Capital社から) |
DC-8-61CF |
2機 |
N367FT、868FT |
DC-8-63CF |
6機 |
N4908C(N871TV)、774FT、776FT、N123AF(N998FT)、797FT、799FT |
会社合併により所有した機体 (Seaboad社
Overseas National社と) |
DC-8-63CF |
3機 |
N8632→N772FT、N8632→N773FT、N866CF→N776FT |
リース機 (CP-Air社
TIA社 Bendix社から |
DC-8-55F |
1機 |
CF-CPT→N789FT、 |
DC-8-63 |
2機 |
CF-CPS→N624FT、CF-CPQ→N625FT |
DC-8-61CF |
5機 |
N8960T→N860FT、N8962T→N861FT、N8955U→N863FT、N8956U→N863FT、N8788R→N864FT |
DC-8-63CF |
1機 |
N870TV |
Flying Tiger DC-8-63CF N781FT
撮影1984 横田基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N784FT
撮影1981 横田基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N786FT
撮影1980
横田基地 YS45
旧塗装のFLYING TIGER LINEの文字がうっすらと残っている
撮影1973 那覇基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N792FT
撮影1982 横田基地 A-330
Flying Taigers DC-8-63CF N793FT
撮影1982 横田基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N796FT
撮影1973 那覇基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N796FT
撮影1982 横田基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N797FT
撮影1983 横田基地 A-330
Flying Tiger DC-8-63CF N798FT
撮影1971 横田基地 A-330
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No1 Pan
American Airways NA
横田基地への初飛来 1961/06/24 DC-8-33 N814PA 愛称Jet
Clipper Caroline
DC-8-33 N814PA
特別便 撮影1963年 東京国際空港 geta-o
Pan American Airways は太平洋線の定期便にDC-8を使っていません
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No2
Airlift International Airlift
横田基地への初飛来 1665春 DC-8-54F N108RD、
DC-8-54F N109RD
使用機材 -33F -51 -54F -61 -63 -63CF
Airlift International DC-8-54F N1041W (1979/08/03
Charlotte Aircraft Corpから購入)
撮影1984 横田基地 A-330
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No3 Trans
International Airlines → Transamerica Airlines TA
横田基地への初飛来 1665秋 DC-8-51 N8008D、
DC-8-54F N8008F
羽田へのF-4EJノックダウンパーツ輸送 1971/08 DC-8-63CF 4機
羽田へのボーイスカウト世界ジャンボリー輸送 1971/08 DC-8-61 延べ14機
営業停止 1986/08/30
Trans International Airlines DC-8-63CF N123AF
撮影1972 大阪国際空港 濱野博司
Trans
International Airlines DC-8-63CF
撮影1970年頃 名古屋空港 高田和彦
1985/05社名変更 Trans
International Airlines → Transamerica Airlines
Transamerica
Airlines DC-8-63F N4864T
DC-8-73CFに改修後 撮影1985 横田基地 A-330
Transamerica
Airlines DC-8-63F N4867T
DC-8-73CFに改修後 撮影1986 横田基地 A-330
Transamerica
Airlines DC-8-63F N807WA
撮影1984? 横田基地 A-330
Transamerica
Airlines DC-8-63F N4869T
撮影1984? 横田基地 A-330
Transamerica
Airlines DC-8-63F N870TV
撮影1984? 横田基地 A-330
Transamerica
Airlines DC-8-63F N871TV
撮影1980 横田基地 YS45
撮影1983? 横田基地 A-330
Transamerica
Airlines DC-8-63F N872TV
撮影1982? 横田基地 A-330
撮影1984? 横田基地 A-330
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No4 Seabord
World Airlines
Seabord
1665秋 横田基地へ初飛来
1968〜1970年代初期 ベトナム戦争関連で連日のように飛来
1968//07/01 DC-8-63CF N8631 針路逸脱で択捉島に強制着陸 07/03釈放され横田に帰還
1970/04/01〜1972/03/31 DC-8-55F N803SW 日本航空がウエットリース
1980/10/01 Flying Taigerに吸収合併により消滅
Seabord World Airlines
DC-8-55F N805SW (1966/10/12-1969/03/05 Flying Taigersからリース)
撮影1968/05 横田基地 高田和彦
Seabord World Airlines
DC-8-63CF N8641 (Seabordへの引渡1969/10/02)
撮影1971 横田基地 Gulf4
Seabord World Airlines
DC-8-55F N8025W
撮影1970年頃 小牧基地 高田和彦
日替わりメモ2019/10/30
〇 DC-8 米軍チャーター
・ Seaboardは、DC-8-55Fと-63Fを35機使っていますが、殆どがリースでした。何故かというと、もともと鉄道会社であり、列車の購入に多額の借金を生じるのを避けて信託会社からリースする手法をとっており、それを航空機にも適用したからです。固定資産計上をしなくて済むし、リース料は経費として処理するもので、日本でも日航機や中小型機にその例が見られます。
・ ベトナム戦争中に本国で休暇を終えた兵士を載せて横田に向かっていたSeaboardのDC-8が、針路を誤って領空を侵犯し、ミグによって択捉島に強制着陸させられた事件がありました。三日後には乗員機体共に解放され、三沢経由で横田に無事到着しました。冷戦真っただ中の事件だけに世界中が固唾を飲んで見守ったのですが、米ソ政府の冷静な判断があったとしか言いようのない短期解決でしたね。
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No5
Capitol
International Airways
capitol
1666/04 短胴型 DC-8-54F N4904C
愛称Flagship Contender 横田基地へ初飛来
1968/09 長胴型 DC-8-63CF N863F
愛称Triumphant 横田基地へ初飛来
Capitol International
Airways
DC-8
Contrail
No.133から転記 撮影者名日時等記載なし Nナンバー解読不可能
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No6 Overseas
National Airways → National Airlines
over
1967/01 短胴型 DC-8-55F N852F 東京国際空港に飛来 以後、横田基地に度々飛来
1971/10/13 長胴型 DC-8-63CF N863F 横田基地へ初飛来
Overseasは
、DC-8を60機余りも使っていましたが、中古買取やリースなど不定期会社の例にもれず様々な態様がありました。中古機の中には、日航からの4機も含まれました。
DC-8-53 JA8007 YOSHINO →
N903R
DC-8-55 JA8019
ASO
→ N915R
DC-8-61 JA8041 →
N917R
DC-8-61 JA8043 →
N913R
また、自社発注の7機だけに愛称を付けています。
業界トップを狙う気持ちが現れているような‥
DC-8-55F N851F Flagship
Resurgence 復活
DC-8-55F N851F Flagship
Contender 挑戦者
DC-8-61 N8770 Sundance インデアンの太陽の踊り
DC-8-63F N863F Triumphant 勝利者
DC-8-63F N864F Serene 落ち着き
DC-8-63F N865F Superb 最高
DC-8-63F N865F Soverign 首領
しかし、パンナムが持っていた路線権などに手を出して紛糾し、定期便が実現しないままに経営破綻し、1985年5月に会社が消滅してしまったのです。
Overseas National Airways
DC-8-63CF N862F
撮影1968/05 横田基地 高田和彦
Overseas National Airways
DC-8-63CF N863F
撮影1970/08/23 東京国際空港 geta-o
Overseasは
、DC-8を60機余りも使っていましたが、中古買取やリースなど不定期会社の例にもれず様々な態様がありました。中古機の中には、日航からの4機も含まれました。
DC-8-53 JA8007 YOSHINO → N903R
DC-8-55 JA8019 ASO
→ N915R
DC-8-61 JA8041 → N917R
DC-8-61 JA8043 → N913R
また、自社発注の7機だけに愛称を付けています。 業界トップを狙う気持ちが現れているような‥
DC-8-55F N851F Flagship Resurgence 復活
DC-8-55F N851F Flagship Contender 挑戦者
DC-8-61 N8770 Sundance インデアンの太陽の踊り
DC-8-63F N863F Triumphant 勝利者
DC-8-63F N864F Serene 落ち着き
DC-8-63F N865F Superb 最高
DC-8-63F N865F Soverign 首領
しかし、パンナムが持っていた路線権などに手を出して紛糾し、定期便が実現しないままに経営破綻し、1985年5月に会社が消滅してしまったのです。
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No7 Saturn
Airways
saturn
1968/05 DC-8-61CF N8955U 横田基地へ初飛来
1976/12 Tranns International Airlinesに吸収合併され消滅
Saturn Airways
DC-8-61CF N8956U
撮影1968/05 横田基地 高田和彦
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更 No8 Universal Airlines Universe
1969/06/06 DC-8-61F N801U
横田基地(名古屋へダイバート)へ初飛来
1972/05 全機売却 路線運航権をZantop International irlinesに引き継いで解散
「アメリカの50州すべてに路線を有する唯一のエアライン」と豪語し、エアロフロートと並ぶ世界最大の航空会社と誇っていたUnited
Airlinesは、また、ダグラスDC-8のキック オブ
カストマーズとして旅客型を多数保有していました。
日本では馴染みが薄かったのですが、ベトナムにアメリカが介入すると、アメリカン航空、トランスワールド、ブラニフなどと共に旅客専門会社が米軍チャーターに参入を強いられ、横田にもUNITEDマークのDC-8-54F、--61、-62が姿を見せ、停戦と共に姿を消しました。
不定期会社のみならず、定期路線会社まで動員して人員物資の輸送中継基地となった横田は、ベトナム戦争をもって輸送基地としての性格が決定づけられたといえるのではないでしょうか。
Universal Airlines
DC-8
新 撮影1970頃 横田基地 Gulf4
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No9 Trans Caribbean
Airways TC
1969/07/26 DC-8-61 N8786R 愛称BarBara
Henry U 横田基地へ飛来 (横田へはこの1回のみと思われる)
Trans Caribbean
Airways DC-8-61 N8786R 愛称BarBara
Henry U
撮影1969/07/26 横田基地 geta-o
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No10 United
Airlines
「アメリカの50州すべてに路線を有する唯一のエアライン」と豪語し、エアロフロートと並ぶ世界最大の航空会社と誇っていたUnited
Airlinesは、また、ダグラスDC-8のキック オブ カストマーズとして旅客型を多数保有していました。
日本では馴染みが薄かったのですが、ベトナムにアメリカが介入すると、アメリカン航空、トランスワールド、ブラニフなどと共に旅客専門会社が米軍チャーターに参入を強いられ、横田にもUNITEDマークのDC-8-54F、--61、-62が姿を見せ、停戦と共に姿を消しました。
United
Airlines DC-8-62 N8966U〜N8975Uの間のどれか
撮影1971/07/31 横田基地 飛行浪人
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No11 American Flyers Airline
AFA
アメリカでもっとも古いチャーター会社で、1951年にDC-3で定期兵員輸送便を開始し、以後、各種旅客機を導入して海外へも拡大していきましたが、1971年にUniversal
Airlinesの傘下に入り、翌1972年にSaturn Airwaysに買収され、消滅しました。
DC-8の所有は、次の2機のみでいずれもUniversalを経てFlying Taigerに移っています。
1670/10/18 DC-8-63CF N123AF 東京国際空港へ飛来
American Flyers
Airlineが歴史的に記憶されるのは、第二次大戦後に生まれたチャーター専門の航空会社としては最も古い会社で、DC-3による低運賃の運行を行ってチャーター業務を開拓したことです。1951年には、米国内の定期兵員輸送の許可を取っていま。そういう面の開拓とともに、ウイキペディアによると、同社のReed
PigmanがVORによる航法システムのパイオニアだったというのです。 彼は、心臓発作で墜落死しましたが、未亡人がバージニアに航空学校を開設し、今はジュニアが校長をしているらしいです。
American
Flyers Airline DC-8-63CF N124AF
撮影1970/11/05 横田基地 geta-o
撮影 横田基地 Gulf4
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No12 World Airways WA
World
Airwaysは、1971年から1980年にかけて6機のDC-8-63CFを所有し羽田や横田に飛来していましたが、どちらかというとボーイング707やダグラスDC-10の方がよく来ていたようです。
World AirwaysのDC-8-63CF N801WA N802AW N803AW N804AW N805AW N806AW
World
Airways DC-8-63CF N802WA
撮影1972/06/03 横田基地 geta-o
World
Airways DC-8-63CF N806WA
撮影1983 横田基地 A-330
World
Airways DC-8-63CF N805WA
撮影1984 横田基地 A-330
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No13 Evergreen
International Ever
1981/10/14 DC-8-63CF N811EV
横田基地へ初飛来
Evergreen International DC-8-63CF
N811EV
撮影1984 横田基地 A-330
Evergreen International DC-8-63CF
N816EV
DC-8-73CFに改修後 撮影1990 横田基地 A-330
Evergreen International DC-8-63CF
N815EV
DC-8-73CFに改修後 撮影1984 横田基地 A-330
Evergreen International DC-8-63CF
N819EV
撮影1984 新千歳空港 CTSsuga
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No14 Arrow Air Arrow
Arrow
Airは、1980年代前半に急成長を遂げた路線航空会社で、米軍チャーターにも進出しましたが、1985/12/12にクリスマス休暇の軍人を乗せてカナダ
ニューファンドランドの空港を離陸直後に墜落炎上し全員死亡の大事故があり、これをきっかけで倒産し消滅しました。
使用機材 DC-8-54F -55F -61 -62 -63 -63CF -73F 合計23機 大半がリース機です。
1983/01/13 DC-8-63CF N6161A 横田に初飛来
Arrow Air
International Air
Leaseなどからジェット旅客機を搔き集め、DC-8だけを見ても50シリーズと60シリーズで7機種23機のうち、自社購入は
3機のみというArrow
Air、1980年代前半だけの会社でした。米国内外に定期路線を拡げ、チャーター輸送も幅広く手掛けたのですが、中東からクリスマス休暇で帰る兵士満載のDC-8が給油したニューファンドランドで離陸直後に墜落炎上という大事故を起こし、FAAが立ち入り検査をしてみると、不正部品などがあって業務停止を食らい、倒産してしまいました。5年間を一夜の夢とした泡沫会社の典型でした。
航空ジャーナル1986年3月号 機体はDC-8-63CF N950JW
(International Air Leasesからリース
Arrow Air DC-8-63CF N2674U (International
Air Leasesからリース )
撮影1984 横田基地 A-330
Arrow Air DC-8-63CF N6161A (International
Air Leasesからリース )
撮影1984 横田基地 A-330
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更 No15 Rich International
Rich
Rich
International Airways は今でも昔でも珍しい女性が創立した会社です。
創立者のジーンリッチ女史 (Jean Rich)
はスペイン系のペルー人で有名なパイロット、
デイヴィッドサングエサ (David Sanguesa)
の長女で、 フロリダ州マイアミに移住した後、
彼女は若い頃から父親の影響か、
航空業界で働き出し1956年にこれまた航空業をしていたホーマーリッチ氏
(Homer Rich)と結婚し、
2人でフロリダカリビアンエアウェイズと言う小さな貨物航空会社を設立します。
しかしリッチ氏は朝鮮戦争上がりで心の病を持っており度重なる家庭内暴力に悩みジーン女史は1969年に離婚。
その後銀行からお金を借りてこれまた小さな貨物航空会社リッチインターナショナルをC46一機で始めます。
事業を始めてDC6、 DC8などを導入。
1982年からは旅客輸送の認可も受領しましたが、
航空業界法律解禁の煽りと不況の為1983年に会社更生法を申請。
同じマイアミ航空業界のドン、 ジョージバッチェラー
(George Bachelor)
から会社を担保にお金を借りて倒産を回避。
業績は復活しバチェラー氏に満額返済。
しかし1980年代後半に入ると再度経営困難に陥り再度ジョージバッチェラー氏に助けを煽り共同運営みたいな会社運営になります。
ジョージバッチェラーは航空業界では伝説的な人物で、あのArrow Airの創立者です。
アローエヤは例のカナダのギャンダーで墜落後、
軍からの契約を貰えなかったので、リッチ社が保有していた軍事便の運行許可が欲しかったらしいです。
彼が経営に参加した翌年、 ジーン女史は癌のため他界。
リッチ社はバッチェラー氏が沢山保有していたロッキードL1011をリース運行(全て旅客)して一旦は息を吹き返しますが、
遺産相続でリッチ社の中で分裂している最中、
連邦航空局から再三整備規定違反の切符を切られ、
最後には運行免許を返上という形で1996年に会社は閉鎖になりました。
(以上、Mr.Andoより)
Rich International
DC-8-62 N1804 ( International Air Leasからリース)
撮影1986 横田基地 A-330
Rich International
DC-8-62 N1808E (1983/10/01 International Air Leasからリース)
撮影1983〜1990 横田基地 A-330
Rich International
DC-8-62 N772CA
新 撮影1970頃 横田基地 Gulf4
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No16 Air
Transport International
ATI
80年代初めに飛び始めたインターステートエアライン社が、社名変更してエアトランスポートインターナショナルになり
(ATI) 軍事便を飛ばし始めたのが1980年代の後半です。
最後にDC8を飛ばしたのが2013年でした。自分が横田で最後にATI機の写真を撮ったのが2005年です。当時、ATI社は何回も親会社が変わり、業績も捗々しくなくそろそろ終わりじゃないかと言う噂が付きまとい、2006年にカーゴホールデイングスと言う会社に買い取られ、次第にDC8ををボーイング767に変え始めます。現在社はオムニエヤやらエイベックスエヤと同系列の会社に吸収され、通信販売のアマゾン専属の契約を貰い忙しいみたいです。近年軍事便は飛ばしてない筈です。(Mr.Ando)
Air Transport
International DC-8-63F N731PL
撮影1988 横田基地 A-330
Air Transport International DC-8-63CF N602AL
DC-8-73CFに改修後 撮影2005 横田基地 Mr.Ando
Air Transport International
DC-8-62F N799AL(貨客型)
撮影2004/08/21 横田基地 YS45
写真の前方 撮影2005 横田基地 Mr.Ando
現在ハワイ オハフ島カラエロア空港(旧バーバーズポイント基地)で動態保存されています
キャリフォーニア州モハーヴィ空港に集められた退役になったATIのDC8群。緑色のBAX
Global は当時ATIと同系の会社でした
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